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めぐみのパンくず

弱った手を強め、よろめくひざをしっかりせよ。心騒ぐ者たちに言え。「強くあれ、恐れるな。見よ、あなたがたの神を。復讐が、神の報いが来る。神は来て、あなたがたを救われる。”

イザヤ35: 3,4

◎神さまのリフォーム(改革)を見たいと思います。神が着手されることは、ユートピアでも桃源郷のごときものではありません。まずキリスト者の心のうちに起こり、やがて世界が一新します。

◎そのうるわしさを見てみましょう。荒野、砂漠、渇いた地が美しい花園に一変するのです。楽しさと賛美の象徴です。

◎その神が神の民に呼びかけられます。「弱った手を強め、よろめくひざをしっかりせよ。」「強くあれ、恐れるな。」と。手は働きを、ひざは祈りを表します。キリスト者の活力はここにあり、神はそうしてくださるのです。

◎精神的、肉体的な変化。盲人の目が開かれ、耳の聞こえない人の耳が開き、歩けなかった人がシカのように飛び跳ねる。いずれもイエスさまが地上でなさったわざでした。信仰の目が開かれ、福音が聞かされ、信仰の道筋を歩みはじめたキリスト者はこのイエスさまの癒しのわざを体験した者です。

◎信仰の大路を歩みます。聖なる道、贖われた者の道、賛美の道です。罪と迷いと愚痴の道を歩んでいたものが、この道を歩むのです。“この道よりほかの道なし、この道を歩む”です。

◎ひとり神さまがなさるところの改革は自然界を、働きを、すさんでいた心を、その故に迷っていた道筋をまっすぐにしてくださるのです。

めぐみのパンくず

主の書物を調べて読め。これらのもののうちどれも失われていない。それぞれ自分の連れ合いを欠くものはいない。それは、主の口がこれを命じ、主の御霊が、これらを集めたからである。”         イザヤ書34章16節

◎イザヤが聖書をどのようにとらえていたかを見てみたいと思います。まず「どれも失われていない」と言います。『この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。』24:35一点一画までみ言葉は残るのです。次に「連れ合いを欠くものはない」と言います。新共同訳聖書を見ますと「雌も雄もそれぞれ対を見出さぬことはない」と切り離せないもの、また関連性があることを示しています。

◎それはどこから出ているのでしょう。「主の口」が命じたからだと言うのです。人の言葉は何とはかなく、良き言葉も一時的(この地上)でしょう。しかし、み言葉は神さまの命じられたゆえに、今も追行しているのです。

◎最後に「主の御霊がこれを集めた」と記されています。ルアッハ・エロヒーム「神さまの息吹」と訳される言葉です。息は生きているものの証しです。人類最初の人、アダムは土から造られました。そのアダムに神さまはご自分の「息・いのちの」を吹き込まれますと永遠に生きる存在となりました。(しかし、罪を犯して永遠には生きられなくなりました。)ぞの、息をもってひとまとめになさったみ言葉ですから永遠に存在し続けるのです。

◎終わりに、み言葉は、調べつつ読む者であることを覚えたいと思います。

めぐみのパンくず

それゆえ、主はあなたがたに恵もうと待っておられ、あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。主は正義の神であるからだ。幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。” イザヤ30章18節

◎イザヤの語った神はイスラエルの聖者であり、豊かにあしらわれる神さまです。しかしながら人間は素直に神さまの言われることに従えない存在で、むしろ自分の知恵、自分の経験に逃げ込んでしまいます。そして苦しむのです。

◎​「それゆえ」とみ言葉は書き出しますが、「そんな民ゆえ」でしょうか、神さまは「恵もうと待っていて下さり」「あわれもうと立ちあがってくださるのです。放蕩息子の帰還の時のように。

◎​以下6っつのことが記されています。

1、「涙をぬぐってくださる」神。Vs19黙示録21:4節「彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。」のです。

2、「まことのよろこび」を教えて下さる神Vs20、人間の究極的で最終的なよろこびは「主」ここでは「教師」と記されていますが、教え導いてくださる方と共にいつもいる事です。

3、「確かな導きて」Vs21その主は間違った道に信仰者をともなわれることはありません。

4、「偶像との完全な決別」Vs22簡単なようですがコロサイ3:5には不品行、汚れ、情欲、悪い欲、むさぼりを殺せとあり、「このむさぼりが、そのまま偶像礼拝である。」と記されています。

5、「豊かな供給」Vs23、24があるのです。人間にも、家畜にも~滋養があって味の良いもの。

 6、「艱難の日の守り」Vs25,26。終末の日の神の民には守りと恩恵が備えられています。