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めぐみのパンくず

たしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じるひとびとのためにもお願いします。”     ヨハネ17:20

◎イエスさまの祈りは自分のため、弟子たちのためを終えて、時と場所を超えた全世界のキリスト者のための祈りとなります。キリスト者たちのことをここでは「彼らの(弟子たちの)言葉によって信じる人々と」言われました。すべてのキリスト者は弟子たちが残してくれた聖書のことばによって起こるのです。

◎イエスさまの祈りに耳を傾けますと、「みんなの者が一つとなるために」vs21,22,23です。父なる神さまとイエスさまが一つであられるようにキリスト者すべてが一つにと祈られたのです。

それは第一に信頼の中にです。「父よ、父よ21父よ24正しい父よ25。」とイエスさまは父なる神を呼びかけつつ祈られます。この父なるお方に絶対信頼を置いておられます。

第二に栄光(十字架と聖霊の中に)を見るためにです。神さまにすべてが赦された者たちがよろこびの民となるために。

第三に愛の中にです。それは父なる神がイエスさまを愛されたように愛されていることを知るためでした。これらによって全うされて一つvs23テテレスタイ~完全に一つになるためにと祈られたのです。

◎キリスト者とされたことはそれだけにとどまりません。キリスト者を見て、この世(まだ救われていない人々)が知りvs23信じるvs21ためなのです。イエスさまの祈りはひたすら人々の救いのために注がれて行きました。それは滅びゆく魂への大きな愛のゆえなのです。

めぐみのパンくず

彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。”“真理によって彼らを聖よめて下さい。”      ヨハネ17:15、17

◎大祭司イエスさまの二番目の祈りは、弟子たちのためのものでした。大きく二つの事柄です。

◎第一は「悪しき者からの守り」です。イエスさまのお心の中には弟子たちも一緒に御国へ連れて行きたかったのではと思いますが、それでは福音宣教を行う者がいなくなります。そこで、弟子たちのためにこの地上での働きのため「悪い者から」守られるようにと祈られたのです。マタイの福音書で「狼の中に羊を遣わすようだ」10:16と言われました。この世はすなおに救いを受け入れるものではありません。

◎第二は「聖めてください」との祈りです。口語訳聖書では「聖別してくだい」とあります。聖別とは神さまのみことば(真理)の側にしっかりと立てることです。みことばは一言一句、真理であり義しいものなのです。世の標準、人間の考えから出る言葉の中で行動するのではありません。弟子たちは人間の罪について、さばきについて、救いについて、御国の約束について語らなければなりませんでした。そのためにはこの世の原理からセパレートされていなければならなかったのです。

◎弟子たちは父なる神さまが選んでイエスさまに賜った特別の人々でした。故に弟子たちは、神さまのみことばを守り、神さまから出たものであることを知りました。新聖歌404番『弟子となしたまえ』と歌いますが、キリスト者すべて、弟子となることできればと願うものです。

めぐみのパンくず

その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストを知ることです。”    ヨハネ17:3

◎17章はイエスさまの大祭司としての祈りが記されています。聖書が示すイエス様の一番長いお祈りです。私たちがいつも祈る「主の祈りは」正確に言いますと、主が教えて下さった祈りです。

◎三つのパートに別れます。第一はご自身のために1-5。第二は弟子たちのために6-19。第三はすべてのキリスト者のための祈りです20-26

◎いよいよ十字架に架かられる時が来ました。十字架の栄光は父なる神さまの栄光であり、イエスさまの栄光です。それは、永遠のいのちをあたえるためと人間の究極の運命を決定する権威のために。それから永遠のいのちについて祈られます。

◎永遠のいのちとは真の神さまと神の遣わされたイエス・キリストを知ること。知ることとは認めること・親しく知ること・理解することで、増大する経験を現したことばが使われています。イエスさまは神がもし見えるお方であればこのようなお方であろうとご自分をその生涯に現して下さいました。イエスさまを知り続けなければならないことはそこにあるのです。イエスさまと一緒に信仰生活は歩んで行くのです。

◎イエスさまは父なる神さまにみ旨を行い成し遂げたと祈られます。神さまのお心に一度もNOと言われたことがないのです。最後に、御そばで栄光に輝かせて下さいと祈られますが、十字架の業を成し遂げられたイエスさまはいっそう輝かれるのにそういありません。