月別アーカイブ: 2013年8月

めぐみのパンくず

“花嫁を迎える者は花婿です。そこにいて、

花婿のことばに耳を傾けているその友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。

それで私もその喜びで満たされているのです。”        ヨハネ3:29

◎バプテスマのヨハネは使徒パウロが後に教えてくれているように、キリストが花婿でキリスト信者の群れが教会としてキリストの花嫁であることを知っていた人でした。

◎イエスさまが人々に洗礼を授けられるようになってから、バプテスマのヨハネのもとに来る人が少なくなって来たとき、ヨハネの弟子たちは心配して「みなあの方の方へ行きます。」と話した時、ヨハネは自分の使命をはっきりとその弟子たちに告げるのでした。すなわち天からの使命は自分で左右できない事。自分の役目は何であるかという事。そして、幕引きの重要性をです。

◎ヨハネの役目はキリストの友のような存在でした。しかも心から相手の友のなすことを喜ぶ存在でした。その友のために自分の与えれた使命に全力を尽くしたのです。それ以上に、自分の引き際をよく知った人であり、友の喜びを自分のことのように喜ぶことができたのです。

◎花婿なるキリストと花嫁とされた私たちキリスト者にはバプテスマのヨハネのような友人がいることを忘れてはいけません。私たちをイエスさまに導いてくれた友もあるでしょう。良き友は「イエスマン」ではありません。良き警告も与えてくれる存在です。何よりも、イエスさまと私たちの関係を喜んでくれる友、お互いがそう成れる友でもありたいと思います。

めぐみのパンくず

“神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。”ヨハネ3:16:

◎宗教改革者マルティンルッターは「聖書の中の聖書」と言ったみことばです。キリスト者は知らないものはありません。神様の「愛」を見て行きましょう。

◎「ひとり子を与えて下さった。」と言われるのです。誰に、何処にでしょう。罪びとに、罪びとの世界にです。この世の幾年、行ける者すべたが滅びてしまいます。死の世界に死なないお方を送って下さったのです。

◎その目的は「ひとりとして滅びることがないように」とのお心です。この世にいる時から心が滅びてしまったような生活をしているような人がいます。そして皆死んでしまうのです。直視できないものが二つある「太陽と死」と言われます。イエスさまは死んで滅びる世界から救い出して神さまの子どもとするために来て下さったのです。

◎そして、「永遠のいのち」を持たせて下さるのです。“人のよわいは70年、健やかであっても80年”詩篇90の世界から、死ななくても良い世界に入れて下さるのです。現在の悲しみや痛みの全くない世界へ。神さまと共に宇宙大で生きる世界です。

◎イエスさまはニコデモに(ニコデモは旧約聖書に通じた人でした)民数記21章の話をされました。神さまに文句を言ったイスラエルの民に神さまは毒蛇を送られました。多くの民が蛇にかまれて死んでいく中、モーセが神さまに命じられて造った青銅の蛇を見上げたものだけが助かりました。イエスさまはこの話をしながら、十字架に架かられるご自身を見上げる者にはこの永遠のいのちが与えられるとニコデモに語られたのです。

めぐみのパンくず

イエスは答えて言われた。「まことに、まことにあなたに告げます。人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」”ヨハネ3:3:

◎ニコデモが夜来た理由は、彼はユダヤ人の指導者でした。「先生」と呼ばれ何でも知っている人、宗教上の回答を持っている人」と人人から思われるユダヤ人の指導者の立場にあったのですから、「イエスの所に昼間に行くことができず、夜こっそり訪れた」(現代訳)のです。それ以上に人生の解決を持たなかったことがありました。「闇の部分」。死後の世界の問題です。ブドウ酒の奇跡を見たのか、聞いたのか、イエスさまには神が共におられると判断しやって来たのです。

◎イエスさまの言葉によって闇の部分が明らかにされます。

「人は新しく生まれなければ、神の国に入ることはできません」

とイエスさまはニコデモに言われました。ニコデモは「母の胎に入ってもう一度やり直せという事ですかと」訊ね返します。

◎イエスさまは、まことにまことに「アーメン、アーメン、レゴーフューミーン」あなたに言いますそれは「水と霊とによって」新しく生まれ変わることだと言われるのです。即ち、行いによらず血筋に寄らず。み言葉によってです。Ⅱペテロ3:5に「天は古い昔からあり、地は神の言葉によって水から出」とあります。そして「御霊によって」新しく神さまの子どもとして生まれ変わることなのです。

◎それではどうして神さまの子どもとして生まれ変わる機会が訪れるのでしょうか、イエスさまは「風は思いのままに」「風はおのが好むところに吹く・文」と言われました。風がどこから吹いてきているのかわからないように、一方的な神さまの恵みが届きます。救いの風がキリスト者の一人一人に吹いたのです。そして信仰が与えられました。

◎人はもう一度初めからやり直したいと思う存在です。しかし、人生はもとに帰りません。一回きりゆえに貴重であり、その中で、イエスさまの出会いによって神さまの子どもに生まれ変わらせていただけるのです。キリスト者は神さまの子どもとして存在していることに心から感謝できますように。