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めぐみのパンくず

“神から遣わされたヨハネという人が

現れた。” ヨハネ1:

◎ ヨハネの福音書を書いたヨハネは最初、バプテスマのヨハネの弟子でした。このバプテスマのヨハネを「神から遣わされた人」「証しのために来た人」「光について証しするために来た人」とヨハネは紹介します。バプテスマのヨハネが神から遣わされたのは「彼によってすべての人が~信じるため」と言います。

◎ キリスト者はイエスさまによって、真の神さまを信じることが出来る存在です。闇の中で光を見る如くにです。その前にバプテスマのヨハネは「真の光」なるイエスさまの先駆けとして遣わされました。

◎ では救い主にお出会いするためのバプテスマのヨハネの仕事は何だったのでしょうか?それは彼が授けたバプテスマ、すなわち「悔い改めのバプテスマ」に見られるところの働きです。ルカによる福音書3章にその内容が書かれています。群衆には愛の行為を勧め、取税人には不正を行うことを禁じ、兵士たちには力を欲望のために使ってはならないことを戒めます。

◎ 神さまのこどもとされることの最初にしなければならないことは、過去の歩いてきた道筋が曲がりくねっていたことに気づき「主の道をまっすぐにせよ」との勧めのごとく、自分の罪を告白することが必要なのです。ですからヨハネのバプテスマは「悔い改めのバプテスマ」というのです。

信仰生活に入った時、導かれるままに罪を告白し赦される恩恵の始まりはここにあります。信仰生活に入って後に、それがわかったと言う人もいるでしょう。神さまの子どもの誕生のために大切な役目をになったバプテスマのヨハネなのです。

めぐみのパンくず

“しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。” ヨハネ1:12

◎ 「この方」とヨハネはイエスさまのことを呼び、この方がいかなるお方であるかを語っています。この方はキリスト者すべての「この方」であることを初めに語るのです。

◎ 第一にこの方が創造のすべてに関与されていることをくり返します。「よって造られ。これによらずにできたものは一つもない。」と、肯定と否定を並べて語るのです。この世界を見る時に、こんなものは神さまが造られたのではないと思いたくなるような事や物があるでしょう。しかし、イエスさまがすべてのものを父なる神とともに創造された時はすべて「良かった」のです。罪が入って来てから醜いものが入ってきました。

◎ 命なるお方。命には二つあります。限られた命と永遠のいのちです。人は死ぬために造られたのではありません。神と永遠に交わるために造られたのです。いのちについては一番深く考えなければならない問題なのに、追い詰められた時、危険を感じる時にこのことで悩み始めるのです。

この世はこの方を受け入れなかったのです。一番身近に見たユダヤ人たちが受け入れなかったのは驚きですが、可視的な世界でイエスさまを受け入れるのでなく、信仰によって受け入れることの、できる、すべての世代を超えての神さまのご計画が見られます。その名を受け入れたキリスト者たち、神の子どもとされた特権を本当に感謝したいと思います。「神によって生まれた」キリスト者。よくぞこんなものを選んでくださったと、主をほめたたえたいのです。

めぐみのパンくず

“はじめに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。”ヨハネ11

◎ 今日からヨハネの福音書を学んでいきたいと思います。ヨハネはイエスさまの心臓の鼓動が聞こえるほど近くにいた弟子だと言われています。自分のことを「イエスに愛された弟子」ヨハネ21:7という表現もしています。そのヨハネが福音書の冒頭に掲げたのが上のみ言葉です。

◎ ことばとはイエスさまのことです。イエスさまを真実なことばと紹介しています。私たちもことばを使いますが、すべてが言行一致と言うわけにはいきません。イエスさまは人格どおりのおことばそのものお方なのです。しかもこの方は初めから、この世界の創造の初めから存在された方であるとヨハネは言います。

◎ そして、このお方のことばによって「世は造られた」vs10とヨハネは証言します。この世界の始まりが明らかにされているのはキリスト者だけだと思います。イエスさまを知らないものには宇宙の、世界の、人間の初めがわからないのです。それゆえに終わりもわかりません。

◎ また、イエスさまは「神であった」とヨハネは言います。神とともにおられたイエスさまも神さまなのです。キリスト者が告白する三位一体の神さまです。

◎ 世界の創造以前からイエスさまは存在されました。

そして神のことばとして世界の創造をされました。私たちもこの方によって造られた存在です。それゆえそのことを信じたものは、この方のお言葉に聞き従っていくのです。ヨハネの福音書のプロローグを大切にしたいと思います。