2025年9月21日聖日礼拝

動画(40分39秒)

聖書 ルカの福音書12章12節〜21節
説教 「最も大切なもの」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

ヤコブの手紙1章21節

ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。


今週の聖句

マタイの福音書6章33節〜34節

まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。


ルカ福音書14章の黙想 1 安息日の守り方。

ルカ13章でイエス様は安息日に会堂で教えておられる時、会堂に入って来た一人の女性をいやしておられます。18年間腰が曲がって、全く伸ばす事の出来ない女性でした。イエス様は「女の方、あなたは病から解放されました。」と宣言されると、直ちに腰が伸びて、病から解放されて神様をあがめています。14章1節でイエス様は安息日にパリサイ人の家に食事をするために入られました。その時そこに、水腫を患っている人がいました。イエス様はそこにいたパリサイ人、律法の専門家に「安息日に癒やすのは律法にかなっているでしょうか。かなっていないでしょうか。」と質問され、直ちにその水腫の人を抱き寄せて、いやして家に帰されました。イエス様はルカ6章5節で安息日に麦の穂を摘んで食べられたとき、「人の子は安息日の主です」と宣言されています。イエス様はルカ13章で18年病の霊に取り憑かれていた女性を癒やされた後、「神の国は何に似ているでしょう」と神の国について語っておられます。これは安息日は神の国のひな形である事を教えようとしておられます。安息日の目的をモーセは教えています。「六日間は自分の仕事をし、七日目には、それをやめなければならない。あなたの牛やろばが休み、あなたの女奴隷の子や寄留者が息をつくためである。」(出エジプト記23章12節)安息日は牛やロバなど家畜だけでなく奴隷の子や寄留者が労働から解放されて安息を得る、天国のモデルの日であります。労働からの解放だけでなく病の苦しみなどの束縛からも解放されます。私たちも主によって与えられた職務を果たしています。やがて神の国に召される時、地上の職務、働きから解放され永遠の安息に入れていただきます。職務からの解放だけでなく、病や肉体の痛みや不自由からも解放されます。日曜日の安息の日を礼拝しながら、やがて召される永遠の安息である天国の解放を期待し、楽しみ、期待したいと思います。この地上において肉体的な束縛制約がありましても、主と共に歩める喜びをかみしめて天の安息を待ち望みつつ、地上の人生の使命を果たしたいと思います。シャローム。

2025年9月14日聖日礼拝

動画(32分11秒)

聖書 使徒の働き20章1節〜12節
説教 「トロアスでの奇跡」
説教者 タン・ショーン師


今月の聖句

ヤコブの手紙1章21節

ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。


今週の聖句

詩篇19篇7節

主のおしえは完全で
たましいを生き返らせ
主の証しは確かで
浅はかな者を賢くする。


ルカの福音書からの黙想 ルカ13章からの黙想3 狭い門から入るように努めなさい。

ルカ13章からの二回目の黙想。この日イエス様は会堂で教えておられます。ガリラヤからエルサレムへの旅の途上、エリコに近い町の会堂で安息日の礼拝をささげておられます。そこで一人の女性と出会っておられます。18年間、病のために腰が曲がって全く伸ばす事の出来ない女性が安息日に会堂に来てイエス様のお話を聞いています。腰を全く伸ばす事の出来ない女性が家から歩いて会堂にまで来て礼拝をするためには大変なエネルギーがいったことでしょう。また会堂での礼拝には全員が起立して詩篇を詠んだり、賛美をささげる事もあったでしょう。この女性はアブラハムの娘(16節)とイエス様は呼んでおられます。アブラハムは忍耐の信仰の方でした。99歳になっても主は子どもを与えてくださると言う忍耐と希望の信仰の父でした。この18年間、腰が不自由な生活を強いられていましたが、何時か主はいやしてくださる、と言う信仰を持っているアブラハムの娘でした。ルカ19章ではエリコの町で取税人ザアカイがイエス様と出会って変えられています。そのザアカイをイエス様は「この人もアブラハムの子」と呼んでいます。周囲の目には貪欲な取税人の頭にしか見えませんが、イエス様がエリコに来てくださる。イエス様に出会えれば人生は変わると信じてイエス様にイチジク桑の木の上で出会いました。この18年腰を病んだ女も、イエス様がこの町に来てくださる、イエス様にお会い出来れば癒やされると言うアブラハムの娘の信仰を持って、ザアカイがイチジク桑の木に登った様に、曲がらぬ腰にムチを当てて会堂に集い、イエス様に手をおいていただき、腰は癒やされて伸ばす事が出来、神様をほめたたえました。この奇跡を見て会衆は主のみわざを喜びましたが、会堂司は、安息日にいやしてもらうことはいけない。安息日以外の日に治してもらいなさいと女性を叱責しています。イエス様はこの女性は18年もサタンに縛られていたのですから、安息日にこの束縛から解放して神様を礼拝すべきではありませんかと女性を擁護しておられます。18年間、病が続きましたが癒やされる信仰、アブラハムの娘の信仰を持って、イエス様がその町に来られるとき、癒しをいただいています。主の時を待ちましょう。主の時には直ぐに応答できる信仰をいただいて歩みましょう。シャローム。

2025年9月7日聖日礼拝

動画(45分25秒)

聖書 ルカの福音書12章1節〜7節
説教 「あなたには価値がある」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

ヤコブの手紙1章21節

ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。


今週の聖句

ヨハネの福音書15章13節

人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。


ルカの福音書からの黙想 ルカ13章からの黙想 あわれみ深い救い主

ルカ13章からの二回目の黙想。この日イエス様は会堂で教えておられます。ガリラヤからエルサレムへの旅の途上、エリコに近い町の会堂で安息日の礼拝をささげておられます。そこで一人の女性と出会っておられます。18年間、病のために腰が曲がって全く伸ばす事の出来ない女性が安息日に会堂に来てイエス様のお話を聞いています。腰を全く伸ばす事の出来ない女性が家から歩いて会堂にまで来て礼拝をするためには大変なエネルギーがいったことでしょう。また会堂での礼拝には全員が起立して詩篇を詠んだり、賛美をささげる事もあったでしょう。この女性はアブラハムの娘(16節)とイエス様は呼んでおられます。アブラハムは忍耐の信仰の方でした。99歳になっても主は子どもを与えてくださると言う忍耐と希望の信仰の父でした。この18年間、腰が不自由な生活を強いられていましたが、何時か主はいやしてくださる、と言う信仰を持っているアブラハムの娘でした。ルカ19章ではエリコの町で取税人ザアカイがイエス様と出会って変えられています。そのザアカイをイエス様は「この人もアブラハムの子」と呼んでいます。周囲の目には貪欲な取税人の頭にしか見えませんが、イエス様がエリコに来てくださる。イエス様に出会えれば人生は変わると信じてイエス様にイチジク桑の木の上で出会いました。この18年腰を病んだ女も、イエス様がこの町に来てくださる、イエス様にお会い出来れば癒やされると言うアブラハムの娘の信仰を持って、ザアカイがイチジク桑の木に登った様に、曲がらぬ腰にムチを当てて会堂に集い、イエス様に手をおいていただき、腰は癒やされて伸ばす事が出来、神様をほめたたえました。この奇跡を見て会衆は主のみわざを喜びましたが、会堂司は、安息日にいやしてもらうことはいけない。安息日以外の日に治してもらいなさいと女性を叱責しています。イエス様はこの女性は18年もサタンに縛られていたのですから、安息日にこの束縛から解放して神様を礼拝すべきではありませんかと女性を擁護しておられます。18年間、病が続きましたが癒やされる信仰、アブラハムの娘の信仰を持って、イエス様がその町に来られるとき、癒しをいただいています。主の時を待ちましょう。主の時には直ぐに応答できる信仰をいただいて歩みましょう。シャローム。

2025年8月31日聖日礼拝

動画(33分43秒)

聖書 ルカの福音書9章18節〜27節
説教 「日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい」
説教者 タン・ショーン師


今月の聖句

歴代誌第一28章20節

それから、ダビデはその子ソロモンに言った。強く、雄々しく、事を成し遂げなさい。恐れてはならない。おののいてはならない。神である主、私の神が、あなたとともにいてくださるのだから。主は、あなたを見放さず、あなたを見捨てず、主の宮の奉仕に関わるすべての仕事を完成させてくださる。


今週の聖句

ヤコブの手紙5章16節

ですから、あなたがたは癒やされるために、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、働くと大きな力があります。


ルカの福音書からの黙想 ルカ13章からの黙想 木の周りを掘って、肥料をやってみます。

ルカ13章6節で「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。そして、実を探しに来たが、見つからなかった。」とイエス様はたとえを話しておられます。ぶどう園にイチジクの木をよく植えておられた様です。それはイチジクの枝にぶどうのツルを這わせることが目的でした。ぶどう園の主人は「見なさい。三年間、このいちじくの木に実を探しに来ているが、見つからない。だから、切り倒してしまいなさい。」とぶどう園の番人に命じています。ぶどう園の番人は主人に答えています。「ご主人様、どうか、今年もう一年そのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥料をやってみます。それで来年、実を結べばよいでしょう。それでもだめなら、切り倒してください。」このたとえ話しはここで終わっています。結果がどのようになったかは書かれていません。ぶどうもイチジクも神に植えられた神の民を指しています。そして実を結ぶことを期待されています。直前の13章1~5節では「悔い改めの実」を結ぶ事が教えられています。「あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」と厳しい教えです。実のないイチジクに「もう一年待って下さい。木の周りを掘って肥料をやってみます」としもべは主人に申しています。ペテロたちはイエス様のそばで3年間、訓練を受けましたが、何度もつまづき、失敗しています。パリサイ人も悔い改めの実が結べません。イエス様は優しく、もう一年待って下さい、と父なる神様にとりなしていてくださいます。土地の周りを掘り起こします。これはかたくなな私たちの心が砕かれる様に導いてくださいます。神様が喜んでくださるいけにえは砕かれたたましいです。私たちの失敗も心が砕かれるための主の導きであります。ダビデもペテロも失敗しましたが、イエス様はそれを赦し、砕かれたたましいに聖霊が注がれて、主に喜ばれるいけにえとなり、悔い改めの実を結ぶ者と導いてくださいます。シャローム。