2024年8月25日聖日礼拝

動画(40分18秒)

聖書 ピリピ人への手紙1章1節〜11節
説教 「喜びの祈りの確信」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

コリント人への手紙第一12章26節〜27節

一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。


今週の聖句

ピリピ人への手紙1章6節

あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。


創世記からの黙想 創世記34章

レアがヤコブに産んだ娘ディナがその土地の娘たちを訪ねようとして出かけた。すると、その土地の族長のヒビ人ハモルの子シェケムは彼女を見て、これを捕えて、これと寝てはずかしめた。」(1~2節)ショッキングな事件が起こっています。ヤコブは神様の助けにより兄エサウとの再会・和解を成し遂げた直後の事件です。ヤコブはカナンの地にあるシェケムの町に着き、そこの手前で宿営してそこで祭壇を築いて祈っています。シェケムはカナン人の町で宗教や価値観・習慣を異にする町で、略奪婚という習慣のある町でした。そこへ娘のディナが一人で行くことは危険なことでした。シェケムの人はシェケムの習慣通り略奪婚で既成事実を作ってそれから結納、花嫁料、贈り物など結婚の条件を話しにヤコブのところに来ました。妹がレイプされたと怒っていたヤコブの息子たちは、悪だくみをたくらんで、妹ディナの結婚の条件にシェケムの男子全員の割礼を要求しました。成人男子が麻酔なしで割礼を受ける時、死ぬこともあり、数日間腰が立たないほどの激痛に襲われます。シェケムの男子全員が割礼を受けて苦しんでいる時、ディナの兄、シメオンとレビは剣を取って難なくその町を襲い、すべての男子を殺し、ヤコブの他の子らは町を襲い略奪をしました。割礼と言う神様との契約のしるしを怒り復讐の手段に用いてしまいました。ヤコブはカナン人が大挙して復讐に来ることを恐れて南にのがれベテルにまできました。20年前にエサウの殺意からのがれるために野宿をして神様から、わたしはあなたとともにいる。あなたを見捨てない。と約束を受け、石の柱を立て、信仰の従順を誓った信仰の原点の場所に帰ってきてそこで祭壇を築いて主を礼拝しました。「ルベンは父のそばめビルハのところに行ってこれと寝た。」(35章22節)これが原因で長子の権利を失っています。ルベンの次はシメオンとレビです。この二人は、割礼を受ければ妹ディナを嫁に与えるという、信仰の大切な割礼を利用してシェケムの人を虐殺しています。シメオン、レビはこの事件で長子の権利を失っています。長子の権利は4番目のユダに回ってきました。ヤコブはシェケムの町を逃れて信仰の原点であるベテルに定住して、そこで礼拝を中心にして家庭を築きました。シェケムの町の美しさに心を奪われ略奪した装飾品を取り除き、着物を着替えるように、主にふさわしい生き方を身の飾りにするように主は命じています。この時、神からの恐怖が回りの町々に下ったので、ヤコブ一族は神様に守られ、周辺の諸国の復習から免れて無事にベテルにのがれることができました。私たちも価値観をことにする異教の人々とともに住んでいますが、古い生き方を脱ぎ捨てて、神の民の信仰、生きざまを現すキリストと言う着物を着て証しの歩みをいたしましょう。シャローム。

2024年8月18日聖日礼拝

動画(50分47秒)

聖書 ヨハネの福音書3章1節〜16節
説教 「永遠のいのち」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

コリント人への手紙第一12章26節〜27節

一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。


今週の聖句

ヨハネの福音書3章16節

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。


創世記からの黙想 創世記33章

ヤコブが自分の故郷へ帰るために取り組まなければならない課題は兄エサウとの和解でした。エサウに対して祝福を奪い取った罪をきちんと謝罪することであります。400人の従者を従えてエサウは来ると言う知らせにヤコブは恐れました。和解の出来ない時、如何にしてエサウから逃れるか。保身のみを考えていたヤコブは一人後ろにとどまっていました。その時、神様の取り扱いがありました。20年前親から離れ一人になった時「まことに主はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった。」(28章16節)と神様との出会いを体験しています。エサウと出会う前日一人一番後ろにいるヤコブに主の使いが現れヤコブと格闘をしました。この格闘でももの関節が外れて自分の力に頼れなくなったヤコブはこの時から自力、自我に頼らず、神様の祝福のみに頼り委ねる信仰体験をしています。神様の愛と赦しに満ちた御顔を拝見し、「あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない」というみ言葉を思い起こしエサウに出会う備えが出来ました。神様の義の太陽に心を照らされたヤコブの前に400人の部下を引き連れたエサウがやってきました。変えられたヤコブは恐れから解放されて自ら先頭に立ってエサウに向かって行きました。ヤコブは7回土下座して地にひれ伏しエサウに対面しました。人への恐れから解放され、自我の力、人間の力、策略に頼らず、神様の祝福のみに頼る信仰に変えられ、義の太陽に照らされ輝いたヤコブの姿でした。神様はヤコブに働かれるだけではなく、エサウにも働きかけられました。エサウは敵意と恨みを持って400人の手下を引き連れてきましたが、ヤコブが一人単身で近づき、7回土下座をして地にひれ伏す謝罪の姿を見ました。その時、神様はエサウにも働かれました。「エサウは迎えに走って来て、彼を抱きしめ、首に抱きついて口づけし、二人は泣いた。」(33:4)感動的な出会いです。エサウも神様に変えられ復讐心から解放されています。放蕩息子が帰って来た時、お父さんが走り寄って抱きしめ口づけした風景をほうふつさせます。罪を犯した弟息子を赦す父に神様の愛があふれています。兄エサウに恐怖を抱いていたヤコブをエサウは抱きしめます。エサウのこの変化にヤコブは神様の取り扱い、神様の慈愛を見ています。「私は兄上のお顔を見て、神の御顔を見ているようです。」(10節)私たちは天の故郷に帰る前になすべきことが残っているでしょうか。自我の力や策略に頼って戦々恐々とならないで、神様の愛と恵みに真理しましょう。