2024年10月13日聖日礼拝

動画(33分55秒)

聖書 使徒の働き13章42節〜52節
説教 「イエスにある私を思い出す」
説教者 タン・ショーン師


今月の聖句

ガラテヤ人への手紙第5章22節〜23節

しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。


今週の聖句

ローマ人への手紙8章14節〜15節

神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは「アバ、父」と叫びます。


創世記からの黙想 創世記41章

それから二年の後」と書き出されています。牢から出て幸せになった献酌官長は獄中でお世話になったヨセフのことを忘れて二年の歳月が流れました。獄中のヨセフは牢獄から出られる日を今日か今日かと待っていました。元の地位に回復した献酌官長は獄中で出会ったへブル人の囚人のことをすっかり忘れていました。人は忘れても神様はお忘れになりません。それだけでなく、神様は人間の失敗を大きな恵みに変えてくださいます。ヨセフは「私のことをパロに話してください」と哀願しました。ヨセフのことがパロに伝わったのはパロの見た夢を通してでした。パロは夢を二度見ています。肉付きの良い7頭の雌牛がいた。醜い痩せ細った7頭の雌牛が出て来て食い尽くしてしまいました。次いで肥えた良い7つの穂が出て来ました。しなびた7本の穂が出て来て飲み込んでしまいました。パロはその夢のために心が騒いだ。国中の呪法師、知者が集められたが誰も夢を解き明かせなかった。その時献酌官長が2年前のヨセフの夢解きを思い出しパロに申し上げた。地下の牢にいたヨセフはひげを剃り、囚人服を着替えてパロ王の前に出ました。ヨセフはパロに言った「パロの夢は一つです。神がなさろうとすることをパロに示されたのです。」神様からの啓示を解き明かしています。「エジプト全土に七年間の大豊作が訪れます。そのあと、七年間の大ききんが起こります。それゆえ、さとくて知恵のある人を見つけ、その者をエジプトの国の上に置かれますように。」とパロ王に進言しています。ヨセフに神の霊の宿っているのを知って「あなたはわたしの家を治めてくれ」とパロに命令され、ヨセフはエジプトの国を治める総理大臣に就任します。7年間の大豊作が来ました。周辺諸国は豊作に酔って浪費していました。エジプトは厳しく収穫の5分の1を徴収して備蓄しています。次の7年の備えをしていました。豊かな時代に厳しく次の時代の備えをすることは神様を恐れ神様の主権を知ったもののみが出来る対応です。神様の預言どおり7年の大豊作の後、7年の大飢饉がやってきました。ヨセフはエジプトだけでなくイスラエルを含めた周辺諸国を救うことになります。人が忘れても神様はお忘れになりません。人が見捨てても神様はもっと大きな使命にリクルートしてくださいます。神の霊の宿っている囚人ヨセフはしっかりとパロ王の前で神様のことばを語りました。今日、神の霊を受けているクリスチャンたちは今の恵の時代とやがて来る神様の裁き、そこからの救いの道をお伝えしておかなければなりません。主が証しの機会を与えてくださいます。主よ用いて下さい。シャローム。

2024年10月6日聖日礼拝

動画(37分21秒)

聖書 ピリピ人への手紙2章1節〜11節
説教 「イエスキリストは主」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

ガラテヤ人への手紙第5章22節〜23節

しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。


今週の聖句

マタイの福音書20章28節

人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。


創世記からの黙想 創世記40章

マタイ5章29節でイエス様は「もし右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てなさい。からだの一部を失っても、全身がゲヘナに投げ込まれないほうがよいのです。」と教えています。ポテファルの奥様からの誘惑を受けた時、ヨセフは上着を捨てて身の潔癖を守りました。誘惑に失敗したポテファルの奥様はヨセフの上着を罪の証拠と偽って夫に見せたため、幸せになりかけたヨセフは王の囚人の監獄に投獄されました。監獄の中でも主はヨセフと共にいて下さったので監獄にいるすべての囚人の管理を任されるようになり、主はヨセフのすることすべてを成功させてくださいました。これらのことの後、エジプト王の献酌官と料理官が、その主君、エジプト王に対して過ちを犯してヨセフのいる牢獄に投獄されて来ました。献酌官と料理官は、二人とも同じ夜にそれぞれ夢を見ました。朝、彼らは顔色がすぐれません。ヨセフは二人に「なぜ、お二人は顔色がさえないのですか」と尋ねた。二人は不思議な夢を見て何か意味があるのではないかと苦しんでいました。ヨセフは解き明かしは、神のなさることではありませんか。私に話してください、と言ったので二人は夢の話しをしました。献酌官はヨセフに自分の夢を話した。私の前に一本のぶどうの木があり三本のつるがあった。芽を出し花が咲き、房が熟してぶどうの実になった。私の手にはファラオの杯があったので、私はそのぶどうを摘んで、ファラオの杯の中に搾って入れ、その杯をファラオの手に献げた。」ヨセフは彼に言った。「その解き明かしはこうです。三本のつるとは三日のことです。三日のうちに、ファラオは元の地位に戻すでしょう。」料理官もヨセフに自分の夢を話しました。「私の夢の中では、頭の上に枝編みのかごが三つあった。一番上のかごには、ファラオのために、ある料理官が作ったあらゆる食べ物が入っていたが、鳥が私の頭の上のかごの中から、それを食べてしまった。」この夢の預言の通り献酌官は元の職務に戻り、料理官は木につるされました。ヨセフは獄中で調理官に「あなたが幸せになったときには、私を思い出してください。私のことをファラオに話して、この家から私が出られるように、私に恵みを施してください」と嘆願しています。ところが、獄屋から解放され幸せになった献酌官はヨセフのことを忘れてしまって二年の歳月が流れてしまいました。人は忘れても神様はお忘れになりません。人に期待して裏切られても、裏切ることのない神様がおられます。ヨセフはここでこの大切な教訓を学んでいます。