2025年1月26日聖日礼拝(バイリンガル)

動画(49分23秒)

聖書 使徒の働き16章1節〜5節
説教 「信仰による真のわが子」
説教者 タン・ショーン師
通訳 リュウ・ホイイン師


今月の聖句

コロサイ人への手紙2章9節

キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。


今週の聖句

テモテへの手紙第二3章16節〜17節

聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となるためです。


ルカの福音書からの黙想 ルカ3章後半

ルカ3章23節からイエス様の系図が書かれています。直前の22節で聖霊が、鳩のような形をして、イエス様の上に下られました。その時天から声がしました。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」イエス様を「神の子」であると聖霊は宣告しました。38節の系図の最後において「このアダムは神の子である。」と書かれ、神の子として創造されながら神に背いて罪を犯し堕落し、その罪人の末裔として罪なき救い主、神の子イエス様がお生まれになったことを証ししています。「教えを始められたとき、イエスはおよそ30歳で、人々からヨセフの子と思われていた。」聖霊によってマリヤの胎に宿りヨセフ・マリヤの家庭で育ち、ヨセフが若くしてなくなったのでイエス様は大工として働き、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンという弟、その他の妹の養育をして、彼らが一人前になったとき、年30歳で家業の大工から解放されて救い主の御業を始められました。「ヨセフはエリの子で、さかのぼると、マタテ、レビ、メルキ、ヤンナイ、ヨセフ」とルカは系図を記述しています。マタイ1章にも系図が書かれています。「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。アブラハムがイサクを生み、イサクがヤコブを生み、ヤコブがユダとその兄弟たちを生み、」マタイの系図はアブラハムから始まっています。「ヤコブがマリアの夫ヨセフを生んだ。キリストと呼ばれるイエスは、このマリアからお生まれになった。」(マタイ1章16節)マタイとルカの系図には少し違いがあります。ヨセフの父はヤコブとマタイは記しています。ルカは「ヨセフはエリの子」と記しています。二人の歴史家がこの点を説明しています。一人の歴史家はエリはマリヤの実のお父様。ヨセフはエリの義理の息子という説明です。もう一人の歴史家はエリとヤコブは兄弟、エリが兄で結婚したが子が生まれる前に亡くなった。それでその未亡人は弟のヤコブと再婚してヨセフを産み、ヨセフはエリの家系を守る養子となった。それでマタイは「ヤコブがマリヤの夫ヨセフを生んだ」と記し、ルカは「ヨセフはエリの子」と記述していると教えています。マタイは系図をアブラハムから始めていますがルカはアダムにまで遡っています。異邦人のルカは救い主イエス様はアブラハムの子孫の救い主だけでなく、万民の救い主と言うことを語っています。

2025年1月19日聖日礼拝

動画(52分28秒)

聖書 ルカの福音書5章17節〜32節
説教 「あなたの罪は赦された」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

コロサイ人への手紙2章9節

キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。


今週の聖句

エペソ人への手紙1章7節

このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。


ルカの福音書からの黙想 ルカ3章前半

ルカは1章2章でイエス様の誕生に続いて、12歳の時の都のぼりの様子を書き記しています。その後「ナザレに帰って両親に仕えられ」「イエスは神と人とにいつくしまれ、知恵が増し加わり、背たけも伸びていった。」とイエス様の生育を書き記しています。ルカは「イエスは、働きを始められたとき、およそ三十歳で、ヨセフの子と考えられていた。」(3章23節)と記し12歳から30歳までの間、ナザレで大工として家族に仕えておられる様子を描いています。ルカはイエス様の誕生と成長をこのように記し、3章1~2節で当時の世界情勢を書き記します。「皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督であり、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟ピリポがイトラヤとトラコニテ地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカヤパが大祭司であったころ」と記しています。イエス様のお生まれの時のローマ皇帝はアウグストゥスでありましたが、皇帝もテヴィベリウスに変わり総督もガリラヤの領主も変わっています。このような時代の変化の中に預言者が現れました。マラキから400年ほどの歳月が経過して神のことばが荒野でザカリヤの子ヨハネに臨みました。「ヨハネはヨルダン川周辺のすべての地域に行って、罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。」(3節)ヨハネはヨルダン川の近くで悔い改めを語り、洗礼を授けていました。それはメシヤが来られ新しい時代が到来したのでその備えを語っています。昔モーセに率いられた民はエジプトから出てヨルダン川の手前に来ました。民は新しい指導者ヨシュアに導かれて約束の地に入りました。ヨルダン川の水がせき止められ、渇いた地を歩んで約束の地に入りました。約束の地に入った民は火打ち石の小刀で割礼を受けました。このヨルダン川を水をくぐって渡る事や割礼を受ける事は悔い改めて洗礼を受ける事を意味しています。バプテスマのヨハネはメシヤが来られ約束の時代が到来したので、ヨシュアに連れられた民が川を渡り割礼を受けて信仰を新たにしたように、悔い改めて洗礼を受ける事を語っています。民は悔い改めの洗礼を受けていました。その時イエス様もヨハネから洗礼を受けられました。イエス様が洗礼を受けられた時は、この方が約束のメシヤである証拠に天が開け、聖霊がハトの様な形をしてイエス様の上に下りました。さらに天から声がして「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」と皆に聞こえる声が天から響きました。この永遠のメシヤイエス様は今も共にいて下さる事を喜びましょう。シャローム。

2025年1月12日聖日礼拝

動画(40分02秒)

聖書 申命記11章18節〜21節
説教 「信仰の家族」
説教者 タン・ショーン師


今月の聖句

コロサイ人への手紙2章9節

キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。


今週の聖句

ガラテヤ人への手紙3章7節

ですから、信仰によって生きる人々こそアブラハムの子である、と知りなさい。


ルカの福音書からの黙想 ルカ2章後半

ルカ2章に於いてイエス様はヨセフ、マリヤに連れられて2回、エルサレムの神殿に行っています。一回目は生後八日目、割礼を受けるため、いけにえを献げるためにベツレヘムからエルサレムに赴いています。この時ヨセフマリヤは「山鳩一つがい、あるいは家鳩のひな二羽」と最も貧しい人の献げものをしています。二回目はその後12年経って、イエス様がユダヤのしきたりで12歳の時成人になったときガリラヤのナザレから両親や村の人々と一緒にエルサレムの神殿に礼拝に行っています。祭りの期間が終わって一行はナザレの村に向かって一日の旅をして宿につくとそこにはイエス様がおられなかった。翌日ヨセフマリヤは一日歩いてエルサレムに戻り、翌日エルサレムを捜すとなんと12歳の少年イエス様は神殿で教師たちの真ん中に座り律法について討議をしておられ、聞いていた人々は少年イエス様の知恵と答えに驚いていました。心配してイエス様を捜しにエルサレムまで戻って来たヨセフマリヤにイエス様は「「どうしてわたしを捜されたのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当然であることを、ご存じなかったのですか。」とお答えになられました。神であられるメシヤ・イエス様は罪人の世界に来てくださり、へりくだって人と同じ姿を取ってくださり、罪人の受ける割礼を受けて下さり、最も貧しい人たちの献げものをささげて下さり、貧しい大工ヨセフの家で、両親に仕え、弟妹の世話をするしもべになってくださいました。人と同じ姿になってくださいましたが、幼いイエス様には神様の知恵が満ちあふれ、家族を愛する愛が満ちあふれていました。「それからイエスは一緒に下って行き、ナザレに帰って両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。イエスは神と人とにいつくしまれ、知恵が増し加わり、背たけも伸びていった。」(ルカ2章51~52節)この人となられたイエス様を「キリストは御子であられるのに、お受けになった様々な苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、ご自分に従うすべての人にとって永遠の救いの源となり」(ヘブル書5章8~9)とヘブル書の著者は証ししています。イエス様は幼い頃より、罪、悪の満ちあふれるこの世で神の光、愛、知恵に満ちて歩んでおられました。弱く無力な私たちも神の力、知恵によってこの世の光として輝きましょう。

2025年1月5日聖日礼拝

動画(42分12秒)

聖書 ルカの福音書5章1節〜11節
説教 「恐れることはない」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

コロサイ人への手紙2章9節

キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。


今週の聖句

イザヤ書41章10節

恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。


ルカの福音書からの黙想 ルカ2章前半

クリスマス物語の背景には光と闇のコントラストがあります。ルカ1章では熟練した高齢の祭司ザカリヤが神殿内での天使の語りかけに対して不信仰な応答をしています。一方、ガリラヤのナザレの若い未熟な少女マリヤは天使の語りかけに「私は主のはしためです。あなたのおことば通りになる様に」と従順な信仰の応答をしています。さらにコントラストは続きます。ルカ2章では最高の権力者皇帝アウグストの住民登録の勅令とそれに振り回される貧しき人々。ヨセフとマリヤは先祖ダビデの町ベツレヘムにたどり着き、馬小屋でイエス様を出産して飼葉桶に寝かせています。マタイ福音書では東方の博士が遠くからはるばる旅をしてイエス様を礼拝して高価な黄金、乳香、没薬をささげています。その博士と対照的に、近場で羊の夜番をしている貧しい羊飼いに救い主誕生の告知が大空の輝きと天使の賛美の中であり、羊飼いたちは何も持たずに、誰よりも早く救い主を捜し当てて主を礼拝して帰途についています。何もささげる物を持ち合わせていない羊飼いたちでしたが、誰よりも早く救い主を礼拝しました。誰よりも豊かで富める神の子イエス様は最も貧しい幼子として寒空の中、悪臭漂う家畜小屋の冷たい石の飼葉桶でこの地上での生を始まられました。自分の自宅ではなく旅の途上での十分な備えのない不安定な中での誕生でしたが、天使たちに守られて恐れなく不安なく安らかに眠っておられました。布にくるまって飼葉桶でお休みになっている幼子イエス様は、その存在を通して「恐れることはない。父なる神が共にいてくださる」と語っていてくださいます。イザヤはやがて誕生する救い主を「その名はインマヌエル」と預言しました。インマヌエルとは訳すと神がいつも共にいてくださる事であります。馬小屋のイエス様のそばに父なる神はいつも共にいてくださいます。無防備であっても、所持品がなくても、人生の旅の途上で何が起こっても、主が共にいてくださいます。それに勝る恵みはないと幼子イエス様は勇敢に語っていてくださいます。私たちもマリアやヨセフの様に無力、無所持であっても、インマヌエルの主が共にいてくださる事を確信して恐れないで、平和に包まれて、主と共に歩みましょう。