2025年7月27日聖日礼拝

動画(39分00秒)

聖書 ヨナ書3章1節〜10節
説教 「主に従うヨナ」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

ヘブル人への手紙11章1節〜2節

さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人たちは、この信仰によって称賛されました。


今週の聖句

ヨナ書2章8節〜9節

空しい偶像に心を留める者は、自分への恵みを捨て去ります。しかし私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえを献げ、私の誓いを果たします。救いは主のものです。


ルカの福音書からの黙想 ルカ12章その2 聖霊を冒涜する罪

ルカ12章10節で「人の子を悪く言う者はだれでも赦されます。しかし、聖霊を冒瀆する者は赦されません。」と書かれています。並行個所のマルコ3章28~29節では「まことに、あなたがたに言います。人の子らは、どんな罪も赦していただけます。また、どれほど神を冒瀆することを言っても、赦していただけます。しかし聖霊を冒瀆する者は、だれも永遠に赦されず、永遠の罪に定められます。」人は多くの罪を犯して来ます。私たちも多くの罪を犯して来ました。主に罪を告白する事で赦しをいただくことが出来ます。「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」と明確にヨハネの手紙1章9節に書かれています。どんな罪であっても赦されない罪はありません。十字架の隣にいた強盗もイエス様を主よ、と呼び、私を覚えてくださいと信仰告白をしたことで、罪赦されパラダイスに引き上げられました。ローマ3章23節に「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。」イエス様を救い主と信じる時、すべての罪が赦され神の子とされます。自分は罪人である事、それを認めて悔い改め信じる告白する事は聖霊が促してくれます。イエス様は神の子、救い主である事も聖霊が心に働いて認めさせてくれます。聖霊のこの心への促しを信じて罪を告白して、イエス様を主と信じて心にお迎えして、罪の赦しをいただきました。聖霊が心に働いて、語りかけてくださって、自分は真っ黒な罪人、イエス様はこの泥だらけの私を救う救い主であると聖霊の促しによって信じて救われました。この心に働きかける聖霊様の働きを否定したり、拒否したり無視する時、私たち祈ることも悔い改めをする事も出来なくなります。自分で救いの道を閉ざしている事になります。聖霊様を悲しませることがあります。聖霊の声をうるさいとかき消す事もあります。聖霊の声を受け入れ、従ってイエス様を主と告白して、聖霊の声を聞きつつ救いの道を歩みましょう。シャローム。

世界福音伝道会:信徒・教職オンラインセミナー2025のお知らせ

世界福音伝道会 信徒・教職オンラインセミナー2025(YouTubeライブ)
ゲスト:藤本満(インマヌエル高津キリスト教会牧師、東京神学大学非常勤講師)

◆第二回目 福音の光の中で聖書を読む
日時:7月26日(土)14:00〜16:00
https://www.youtube.com/live/DLtuNyWbOpQ別タブ

※詳しくは以下のチラシをご覧下さい。

2025年7月20日聖日礼拝

動画(31分13秒)

聖書 ルカの福音書11章29節〜32節
説教 「ヨナに勝る方」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

ヘブル人への手紙11章1節〜2節

さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人たちは、この信仰によって称賛されました。


今週の聖句

ヨナ書2章8節〜9節

空しい偶像に心を留める者は、自分への恵みを捨て去ります。しかし私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえを献げ、私の誓いを果たします。救いは主のものです。


ルカの福音書からの黙想 ルカ12章その1

ルカ12章も59節まである長い章です。13~21節でイエス様は愚かな金持ちの話をしています。12章でイエス様の語られたメッセージの内容の中心のようです。愚かな金持ちにイエス様は語っています。「しかし、神は彼に言われた。愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。自分のために蓄えても、神に対して富まない者はこのとおりです。」(20~21節)人生はこの時代だけではありません。この地上の生活はいつか必ず終わりの時があり、死後の世界を迎える備えをする事の必要を教えています。人間を構成しているのは地上の生活を支える肉体のいのちだけではなく、たましいも持っている存在です。死んで肉体は滅びて土に帰って行きますが、たましいは死後も存在します。死後、神様に出会って報告をしなければなりません。神様からの評価、裁判、裁きを受けなければなりません。富める愚かな農夫は地上の人生しか考えていませんでした。豊作の時「どうしよう。私の作物をしまっておく場所がない。そして言った。こうしよう。私の倉を壊して、もっと大きいのを建て、私の穀物や財産はすべてそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。わがたましいよ、これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ休め。食べて、飲んで、楽しめ。」(17~19節)死後の世界を全く考えていない人生観です。イエス様はこのルカ12章で私たち人類は地上において神様の支配の中で生きていますが、死後の世界においては神の直接の支配、管理、神の裁きの世界に生きなければならない事を教えています。死後の世界、死後における神様の御支配、裁きは地上に生きている時には肉眼の目では見えない世界です。あると信じる人は死後の世界、死後の裁きの備えをして地上の人生を送ります。あると信じない人は、死後の世界、死後の神様の裁きを無視して、地上で神様中心の人生ではなく、自己中心の人生を送る可能性、誘惑があります。真理なるイエス様のことばを土台にして、未来を信じて神中心の人生を歩みましょう。シャローム。

2025年7月13日聖日礼拝

今月の聖句

ヘブル人への手紙11章1節〜2節

さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人たちは、この信仰によって称賛されました。


今週の聖句

ガラテヤ人への手紙2章20節

今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。


ルカの福音書からの黙想 ルカ11章その4ヨナのしるし

ルカ11章29~32節でイエス様はヨナのしるしを取り上げています。「ニネベの人々が、さばきのときに、この時代の人々とともに立って、この時代の人々を罪ありとします。ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし見なさい。ここにヨナにまさるものがあります。」(32節)イエス様は御自身をヨナにまさる者と自己表現しておられます。まさる者という表現の中に、イエス様とヨナに共通点があり、イエス様はヨナより遥かに優れているお方と明かししておられます。「ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。」(マタイ12章40節)ヨナは神様からニネベの町に行って福音を、悔い改めを語るように召されました。しかし敵国ニネベの救いを望まずにニネベと反対の地中海の西の端、タルシシュへ逃げました。船が大嵐に襲われヨナは自分が神に背くことをしているのでこの大嵐が来た。わたしを海に投げ込んでください。船乗りがヨナを海に投げ込むと海は凪になり、ヨナは大きな魚に飲み込まれ、三日目に岸に吐き出されました。ヨナは神に従いアッシリアの首都ニネベに行って神の裁きの宣教をしました。ヨナはニネベの滅びを見ようとすると主は一本の唐胡麻の木を生長させいい木陰を提供した。ところが一匹の虫が唐胡麻をかんだのでその木は枯れ、ヨナは炎天下で苦しみ、死んだ方がましとさけんだ。「すると神はヨナに言われた。この唐胡麻のために、あなたは当然であるかのように怒るのか。ヨナは言った。私が死ぬほど怒るのは当然のことです。主は言われた。あなたは、自分で労さず、育てもせず、一夜で生えて一夜で滅びたこの唐胡麻を惜しんでいる。ましてわたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。そこには、右も左も分からない十二万人以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」ヨナは神のことばを語る預言者でした。ヨナにまさるイエス様は罪人の悔い改め、取税人の悔い改めを喜ぶ、放蕩息子のお父様のように赦しの愛の豊かな方でした。ヨナに愛と赦しにまさる救い主、主イエス様と共に歩みましょう。シャローム。