主日礼拝説教:2026年3月1日(日)
聖書箇所:出エジプト記20章4~6節
説教題:御霊と真理によって
暗唱聖句
神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。
ヨハネの福音書4章24節
説教要旨
自分のために
十戒は私たちが神さまとともに生きるための道しるべとなる言葉です。第二戒は「あなたは自分のために偶像を造ってはならない」です。
第二戒で問われているのは、神さまの像を造って拝むことです。それは第一戒で問題にされていた「ほかの神」の像を造って拝むことではありません。第二戒で想定されている像は、まことの神さま、主です。まことの神さまである主を目に見える像として造ってはならない、そこに第二戒の中心があるのです。問われているのは、神さまと私たちの関係そのものです。
「あなたは自分のために偶像を造ってはならない」、神さまはそう言われました。「偶像を造ってはならない」のは、「自分のために」です。「他人のために」であれば問題ないと言われているのではありません。偶像は「自分のために」造るものだということです。自分の願いを聞いてくれる、自分の欲望を満たしてくれる、そのために造られるものが偶像の正体です。
偶像を造って拝むというのは、拝むという言葉が使われていても、自分が中心です。神を拝んでいるようでいて、中心にいるのは自分です。偶像礼拝の本質は、自分を中心に置くことであり、自分が神になっていることです。そして、第二戒において問題とされているのは、私たちがまことの神さまさえも偶像にしてしまうことです。私たちは、この世界を造られた主、まことの神さまをも、偶像にしてしまうのです。まことの神さまを、自分の欲望を満たす道具、自分に利益をもたらしてくれる道具、そのような偶像にしてしまうのです。
まことの神さまは目に見えない方です。目に見えない神さまは、私たちが知っているどのようなものによっても、似せて造ることのできない方です。そして、その目に見えない神さまの形を造ることができないのは、神さまが私たちの自由にできない方であることを意味しています。神さまは私たちの自由にできる方ではありません。私たちの願いどおりに動かすことのできる道具ではないのです。神さまはご自分のみこころを自由に行われる方です。そして、誰にも支配されることのない方、自由な方だからこそ、神さまは神さまなのです。
見えない神さまは、聖霊の働きの中で、真理のみことばなる御子イエスさまを通して、私たちに語りかけていてくださいます。そして、その神さまからの語りかけを通して、私たちは神さまを神さまとして知ることができるのです。神さまがどのような方であるのか、神さまがどれほどに私たちを愛していてくださるのか、神さまご自身の語りかけを通して、私たちは神さまを知るのです。礼拝とは神さまご自身が教えてくださる神さまとお出会いするところです。そして、その神さまとお出会いする礼拝を通して、私たちはまことの祝福をいただくのです。
恵みを千代にまで施す
神さまはご自分のことを「ねたみの神」と表現されました。「ねたむ」とは、嫉妬することです。そして、神さまがねたまれるのは、ご自分の民が、別のものに目を奪われている時です。神さまは、ご自分の民が、ご自分の方ではなくて、別のものに目を奪われている時に、見て見ぬふりをするのではなくて、ねたむことをなさるのです。
ねたむというのは、心が狭いことのように思われることがあります。しかし、結婚をした夫婦のような間柄であるならば、愛するパートナーが自分以外の誰かに心惹かれている時に、ねたむのは当たり前です。むしろ、愛するパートナーが自分以外の誰かに心惹かれているのを知りながら、無関心でいるとすれば、そのことの方が問題です。そして、このことは、神さまとご自分の民、神さまと私たちの関係にも、そのまま当てはまります。「あなたの神、主であるわたしは、ねたみの神」、神さまがそう言われるのは、神さまがご自分の民を愛していてくださるからにほかなりません。神さまは、ご自分の民と、私たち一人ひとりと、顔と顔を合わせて生きることを願っていてくださるのです。
私たちは罪人です。神さまを愛して生きることを願いながらも、その神さまを自分の道具のように考えてしまう者です。神さまはそのような私たちの罪を決して見過ごされません。しかし、神さまはそのような罪人の私たちを愛していてくださいます。私たちが神さま以外の方に目を奪われたからと言って、それで私たちを諦めたりする方ではありません。神さまは私たちのことを決して諦めない方です。恐ろしいほどに諦めの悪い方です。そして、それが「ねたみの神」という言葉で表現される神さまの愛なのです。
祈り
神さまを愛しながらも、神さまを自分の道具のように考えてしまう罪人の私たちです。そんな私たちを愛していてくださる神さまの恵みを覚えて感謝します。新しく始まる一週間の歩みにおいても、神さまの語りかけに耳を傾けながら、神さまを神さまとして生きる者としてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

