詩篇の祈りに導かれて(73)(週報2026年2月22日号)

 詩篇73編の詩人は、神さまが「心の清らかな人たちに」「いつくしみ深い」と証ししています。「心の清らなか人たちに」と言われれば、「心の清らかでない人たち」にはいつくしみ深くないのか、そんな疑問を抱くかも知れません。

 神さまは「心の清らかな人たちに」「いつくしみ深い」、そう証しする詩人は、つまずきそうになった経験を告白しています。信仰のつまずきです。詩人は悪しき者が栄えるのを見てねたんだのです。ねたみに燃えた自分のことを神さまの御前で「獣のようでした」とまで表現しています。

 それでも、詩人は神さまとともにいました。なぜなら、神さまご自身が詩人の右の手をしっかりとつかんでくださっていたからです。神さまご自身が右の手をしっかりとつかんでいてくださったからこそ、ねたみに燃えて獣のようだった詩人は、神さまとともにいたのです。詩人は、そんな神さまを「いつくしみ深い」と証しし、「心の清らかな人たち」に自分を含めているのです。

 「心の清らかな人たち」とは神さまだけを見つめる人です。それは神さまだけを頼りとする人のことです。神さまとともに生きることこそがまことの幸いであることを知り、その神さまを愛して、神さまの諭しを喜んで受け入れる人です。神さまはその「心の清らかな人たち」をそのままに受け入れてくださいます。そして、忍耐強く導いてくださいます。そこに例外はありません。神さまはいつくしみ深い方だからです。

あなたは 私を諭して導き/ 後には栄光のうちに受け入れてくださいます。(詩篇73編24節)


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