主日礼拝説教:2026年2月15日(日)
聖書箇所:出エジプト記20章3節
説教題:神の御顔の前に
暗唱聖句
主は振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います」と言われた主のことばを思い出した。
ルカの福音書22章61節
説教音声
説教要旨
あってはならない
十戒は、神さまが、イスラエルの民と契約を結ぶにあたって、イスラエルの民に語られた言葉です。第一戒は「あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない」です。
イスラエルの民を取り巻く人々の間では、神さま以外のものが「神」とされていました。エジプトの地においても、カナンの地においても、現在の私たちが生きる日本においても、事情は同じです。多くのものが「神」とされています。その事情を踏まえて、神さまはイスラエルの民に語られるのです。「あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない」。イスラエルの民に求められたのは、神さまだけを神さまとして生きることでした。イエスさまを信じて、同じ神さまの民として加えられた現在の私たちも同じです。
さて、十戒は「してはならない」という否定の命令が続きます。その「してはならない」という言葉の意味を、ある先生は「しなくとも生きることができる」と説明されていました。「しなくとも生きることができる」、第一戒に当てはめるならば、「あなたには、わたし以外に、ほかの神がいなくとも生きることができる」ということになります。
私たちは「ほかの神がいなくとも生きることができる」のです。なぜなら、まことの神さまがおられるからです。まことの神さまと出会ったからです。まことの神さまと出会った以上、ほかの神はもはや必要ないのです。ほかの神がいなくとも、生きることができるのです。
ほかの神があってはならない、それは私たちを束縛するための教えではありません。一般的な教えとして語られたのでもありません。そうではなくて、神さまからの呼びかけです。あなたにはわたしがいるじゃないか、ほかの神は必要ないじゃないか、そのような呼びかけです。
イスラエルの民が神さまの呼びかけに答えたのは、彼らもまた、神さまとともに生きることを願ったからです。神さまの愛を知ったからです。私たちも同じです。私たちが神さまの呼びかけに答えるのは、私たちもまた、神さまを愛するからです。神さまとともに生きることを願うからです。私たちが罪を赦されて新しく生きるために、かけがえのない御子イエス・キリストを十字架にかけてくださった、その神さまの愛をいただいたからです。御子イエスさまを十字架にかけるほどに、私たちを愛してくださっている、その神さまとともに生きることを願うからこそ、私たちは神さまの呼びかけに答えるのです。主イエス・キリストの父なる神さまだけを、神さまとして生きるのです。それは神さまを愛するがゆえの自由な応答です。
我面の前に
新改訳2017で「わたし」となっているところは、文語訳では「我面の前に」と訳されていました。「わたしの顔の前に」という意味です。新改訳2017で「わたし」と訳されているヘブル語には、「わたしの顔の前に」という意味があるのです。そして、そうすると、神さまが「ほかの神があってはならない」と言われているのは、神さまの御顔の前においてのことになります。
「わたしの顔の前に」、神さまの御顔の前に、そのように言われると、何か監視されているような感じがするかも知れません。しかし、私たちが神さまの御顔の前にあるのは、監視されているのとは異なります。
神さまはいつも私たちを見ていてくださいます。私たちのすべてを知っていてくださいます。良い所だけではありません。悪い所も知っておられます。誰にも言えないような醜さも知っておられます。すべてを知っていてくださる上で、神さまは私たちを愛していてくださるのです。そして、私たちが生きるのは、そのような神さまの御顔の前においてです。
信仰生活とはいつも神さまの御顔の前にあることを覚えて生きることです。それは神さまに監視されて生きることではありません。恐ろしい神さまの御顔におびえながら生きるのではありません。長所も短所も、失敗や間違いも、私たちのすべてを知り尽くしていてくださり、その上でなお、私たちを愛していてくださる、そのようないつくしみ深い神さまの御顔の前に生きるのです。そして、神さま以外のものを神としない、それが可能になるのは、いつくしみ深い神さまの御前にあることを覚えて生きることによってです。すぐに神さまから目を離してしまう、すぐに神さま以外のものを求めてしまう、そんな私たちを諦めずに導いていてくださる、その神さまのいつくしみ深い御顔の前で、私たちは神さまだけを神さまとして生きる者とされていくのです。
祈り
すぐに神さまから目を離し、ほかのものを求めてしまう私たちです。そんな私たちを諦めることなく導いていてくださる神さまのいつくしみを覚えて感謝します。新しく始まる一週間の歩みにおいても、いつくしみ深い神さまの御顔の前にあることを覚えながら、神さまだけを神さまとして生きる者としてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

