詩篇70編の詩人は神さまの速やかな助けを祈り求めています。「急いで私を助けに来てください」、「私のところに急いでください」、「主よ 遅れないでください」。詩人の祈りは切実です。
ところで、最後の「遅れないでください」は聖書協会共同訳などでは「ためらわないでください」と訳されています。
「遅れないで」と「ためらわないで」とでは、少しニュアンスが異なります。そして、私だったら、「ためらわないで」とは、とても言えないように思いました。なぜなら、助けてくれる相手に「ためらわないで」と言えるだけの根拠も資格も、私にはないからです。
もしかしたら、詩人も同じだったかも知れません。しかし、詩人はためらうことなく「ためらわないで」と祈り求めることができました。それは詩人が神さまのあわれみを確信していたからとしか言いようがありません。詩人は「貧しい」自分を愛していてくださる神さまのあわれみを確信していたからこそ、「ためらわないで」と祈り求めることができたのです。
後にイエスさまは私たちのところに来てくださいました。十字架への道を歩んでくださいました。ためらわないで、来てくださいました。ためらわないで、十字架への道を歩んでくださいました。私たちを愛してくださったからです。
しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。(ローマ人への手紙5章7節)