主日礼拝説教:2026年1月4日(日)
聖書箇所:出エジプト記18章13~27節
説教題:ともに重荷を負って
暗唱聖句
私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。
エペソ人への手紙4章13節
説教音声
説教要旨
ともに重荷を担う
モーセのしゅうとイテロがモーセのところを訪ねてきた時のことです。モーセは民をさばくための座に着いていました。民のもめごとをさばくのです。それは一日中のことでした。たくさんの民がモーセのさばきを待っていたからです。そして、その様子を見たイテロがモーセに助言をします。その内容は小さな事件を担当する人を立てることでした。「千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長」を民の上に立てるのです。そして、小さな事件はその長たちが担当し、大きな事件だけをモーセのところに持っていきます。そうすれば、モーセの負担は軽くなるということです。イスラエルの民にはともに重荷を負う必要があったのです。
イスラエルの民は出エジプトのみわざによって救われました。しかし、その救いは、エジプトを出れば、それで終わりということではありませんでした。エジプトを出たことはスタートに過ぎませんでした。エジプトを出たところから、具体的な救いの歩みはスタートしたのです。そして、その歩みのために、イスラエルの民は整えられなければならなかったのです。それは、一人の問題ではなく、イスラエルの民全体の問題でした。
イスラエルの民が直面した問題は、現在の教会にもそのまま当てはまるのだと思います。完成した教会はありません。この世の教会は常に工事中です。しかし、その工事を導いておられるのは神さまご自身です。
神さまに導かれながら、ともに重荷を負っていくことができれば幸いです。
神を恐れる
教会において、ともに重荷を負うというのは、とても大切なことです。しかし、私たちがともに重荷を負うというのは、単純に組織や規則を整えたり働きを分担したりするだけのことではないように思います。
イテロがモーセにまず勧めたのは、モーセが神さまの御前で民の代わりとなって、さまざまな事件を神さまのところに持って行くようにすることでした。そして、モーセが掟とおしえをもって民に警告し、民の歩むべき道と、なすべきわざを知らせることでした。
実は、イテロがモーセに勧めたことは、ずっとモーセが行っていたことです。モーセは、民の代わりに事件を神さまの御前に持って行き、神さまの掟とおしえを民に知らせていたのです。にもかかわらず、イテロは改めてモーセのその役割を強調するのです。恐らくは、あまりにもたくさんのもめごとを抱えながら、モーセは自分の役割に徹することが難しくなっていたのだと思います。あまりにもたくさんのもめごとを抱え込むモーセに、イテロはモーセ本来の役割を改めて強調する必要があったのです。そして、その解決の方法が働きを分担することでした。
モーセの役割は、神さまの掟とおしえをもって民に警告し、民の歩むべき道と、なすべきわざを知らせることです。そして、その目的は、イスラエルの民全体が、神さまの言葉を聞き、神さまのみこころに従って歩むようになることです。
イテロの助言を通して、イスラエルの民は組織的に整えられていくことになりました。しかし、組織的に整えられていくこと自体に目的があったのではありません。目的は、イスラエルの民全体が、神さまの言葉を聞き、神さまのみこころに従って歩むようになることです。だからこそ、小さな事件をさばくために立てられる長たちの条件も、何よりもまず、神さまを恐れることでなければなりませんでした。
教会は何よりも神さまを神さまとして恐れるところです。神さまを第一とするところです。神さまを第一とするからこそ、神さまの言葉を大切にするところです。そして、神さまの言葉を聞き、神さまのみこころに従っていくところにおいてこそ、教会は教会であることができるのです。イエスさまをかしらとする教会は、神さまのことばによって立て上げられるのだからです。他の何かによってではありません。神さまの言葉よってこそ、教会は立つのです。神さまの言葉によって、いのちの言葉によって、教会は前進するのです。
私たちが神さまを恐れるのは神さまの愛を知ったからです。私たちの救いのために、御子イエスさまのいのちを与えてくださった神さまの愛です。
毎週の礼拝を通して、イエスさまの十字架によって明らかにされた神さまの愛を喜び味わいたいと思います。そして、神さまを恐れ、神さまの言葉に聞き従う私たちであらせていただきましょう。
祈り
イエスさまの十字架によって明らかにされた神さまの愛を喜び味わいながら、神さまを恐れ、神さまの言葉に聞き従う私たちであらせてください。神さまの言葉によって立て上げられていく教会としてください。新しく始まった一年の歩みを祝福してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。