詩篇67編の詩人は神さまが御顔を照り輝かせてくださることを願い求めました。「御顔を私たちの上に/ 照り輝かせてくださいますように」。詩人とイスラエルの民にとって、神さまが御顔を照り輝かせてくださることは、神さまが自分たちをあわれみ祝福していてくださることのしるしでした。
神さまは自分たちに御顔を向けていてくださらない、そう感じることがイスラエルの民は多かったかも知れません。しかし、実際には、神さまに顔を向けていなかったのは、イスラエルの民の方だったように思います。イスラエルの民こそが、そして、私たちこそが、神さまから顔を背けているのです。それが聖書の語る罪人の姿です。しかし、そんな罪人の私たちに、神さまは御顔を向け続けていてくださる、そこに神さまのあわれみと祝福があるのです。顔と顔を合わせて話をしたい、交わりを持ちたい、それは私たちが願う以上に神さまが願っていてくださることです。だからこそ、御子イエスさまはお生まれになってくださいました。十字架への道を歩んでくださいました。
交わりは互いに顔を向け合うことによって成り立ちます。育まれていきます。そして、神さまはいつも私たちに御顔を向けていてくださいます。私たちの上に御顔を照り輝かせていてくださいます。
神さまが見ていてくださることを覚えながら、私たちも神さまの方に顔を向けていく、そんな一年となることを願います。
主よ、お話しください。しもべは聞いております。(サムエル記第一3章9節)