詩篇の祈りに導かれて(66)(週報2025年12月28日号)

 イスラエルの民は試練の中を通りました。その試練の中で、詩篇66編の詩人は祈りました。神さまは詩人の祈りを聞いてくださいました。詩人は救いの喜びを歌います。そして、「神は私の祈りを退けず/ 御恵みを私から取り去られなかった」という証しの言葉で最後を締めくくります。

 詩人は「御恵みが取り去られなかった」という言い方をしています。必死に祈り倒して、恵みが与えられたと言っているのではありません。恵みは取り去られなかったと言っているのです。つまり、試練の中にあっても、神さまの恵みはずっとあったのです。イスラエルの民はずっと神さまの恵みの中に置かれていたのです。神さまの救いを経験した詩人が最終的に教えられたのは、その恵みでした。決して取り去られることがない神さまの恵みを、詩人は祈りを通して新しく教えられたのです。

 神さまの恵みは祈りによって引き出すものではありません。まず恵みがあるのです。私たちが祈る前から、神さまは私たちに恵みを注いでいてくださいます。そして、その恵みに気づかされるのは、やはり祈りを通してなのだと思います。

 この一年も神さまは豊かな恵みを注いでくださいました。静かに祈りながら、与えられた恵みを味わい、神さまに感謝しましょう。

私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。(ローマ人への手紙8章32節)


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