詩篇の祈りに導かれて(64)(週報2025年12月14日号)

 詩篇64編は嘆きの言葉から始まっています。詩人は嘆いています。具体的な状況は分かりませんが、ひそかにいのちを狙われているようです。そして、詩人のいのちを狙う敵は自分たちの策略が成功することを確信しています。どうすることもできない詩人には嘆くことしかできないのです。

 しかし、その嘆きから始まった詩篇64編も最後は雰囲気が変わります。なぜなら詩人は自分のいのちを狙う敵の策略が失敗することを確信するからです。神さまが敵の策略を打ち砕いてくださる、そのような確信へと導かれるのです。

 現在の私たちがいのちを狙われて嘆くようなことはほとんどないかも知れません。しかし、嘆くことはよくあります。嘆きたくて嘆くのではありません。嘆かざるを得ないのです。

 私は嘆いてことばかりの人生を送ってきたように思います。そして、嘆くことを否定的に考えてきました。嘆くことしかできない自分を不甲斐なく思ってきたのです。嘆いたからと言って、何の解決にもならないからです。しかし、神さまに向かって嘆く詩人の言葉に触れた時、嘆くことのできる恵みを味わわせていただいたように思います。嘆いていいんだ、ふっと心が軽くなったように思うのです。

 神さまは嘆く私たちの声を聞いていてくださいます。嘆く声に込められた私たちの思いを知っていてくださいます。そして、主に身を避ける私たちをかくまってくださいます。

神よ 私が嘆くとき 私の声を聞いてください。(詩篇64編1節)


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