詩篇63編の詩人は「水のない 衰え果てた乾いた地」で神さまをあえぎ求めていました。「水のない 衰え果てた乾いた地」とは、聖書では「荒野」と表現されることが多いと思います。しかし、詩人はその直後に「聖所で あなたを仰ぎ見ています」と言います。「水のない 衰え果てた乾いた地」、荒野から聖所に移動したのではありません。荒野こそが聖所だったのです。
聖所とは神さまがモーセに造れと命じられた幕屋です。幕屋は、神さまのお住まいであり、イスラエルの民が神さまに犠牲を献げるところです。神さまを礼拝し、神さまとお出会いするところ、それが幕屋であり聖所です。
出エジプトの時代、神さまは荒野を旅するイスラエルの民の中に幕屋を備えてくださいました。イスラエルの民は荒野の幕屋で神さまを礼拝しました。荒野を出てからではありません。荒野の幕屋においてです。イスラエルの民にとっては、荒野こそが神さまを礼拝する聖所だったです。そして、神さまは、その荒野において、イスラエルの民に栄光と力を現してくださいました。
荒野というのは好んで行くところではありません。しかし、荒野のようなところを通らされるのが、私たちの現実です。
神さまを信じても荒野はなくなりません。しかし、その荒野においても、神さまはともにいてくださいます。そして、その神さまを仰ぎ見るならば、そこがそのまま聖所になります。
聖霊に満たされ、じっと天を見つめていたステパノは、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て(使徒の働き7章55節)