主日礼拝説教:2025年11月16日(日)
聖書箇所:出エジプト記17章1~7節
説教題:主を試みてはならない
暗唱聖句
みな、同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らについて来た霊的な岩から飲んだのです。その岩とはキリストです。
コリント人への手紙第一10章4節
説教音声
説教要旨
なぜ主を試みるのか
イスラエルの民はシンの荒野からレフィディムに移動しました。しかし、そのレフィディムには飲み水がありませんでした。飲み水がなくて困ったイスラエルの民は、モーセと争いました。モーセに飲み水を求めたのです。「われわれに飲む水を与えよ」。モーセは、飲み水を要求するイスラエルの民に、「なぜ主を試みるのか」と言いました。イスラエルの民がモーセに飲み水を求めたことは、神さまを試みることでした。試みるというのは、テストをすること、確認することです。「主は私たちの中におられるのか、おられないのか」、このことをイスラエルの民は確認したかったのです。
モーセは「なぜ主を試みるのか」と言いました。
イスラエルの民が神さまを試みたのは問題が起こったからです。神さまは本当に自分たちの間におられるのか、神さまがおられるなら、どうして飲み水がないのか、本当はおられないのではないか、そんな不安を抱きながら確認をしないではいられなかったのです。
私たちも同じです。何も問題がなければ、神さまがともにいてくださることを納得しやすいのではないかと思います。しかし、何か問題が起こると、悠長に構えていることができなくなってきます。神さまは本当におられるのか、神さまがおられるなら、どうしてこんなことが起こるのか、どうして問題が解決されないのか、そのように考えがちです。
しかし、神さまがともにいてくださるというのは、状況とは関係がありません。状況を見て判断できるものではありません。もちろん、私たちの感情とも関係がありません。
神さまがともにいてくださるというのは、神さまの約束です。神さまが約束してくださっていることです。
神さまはモーセに岩を打たせる時に、「あなたの前に立つ」と言われました。「あなたの前に立つ」と言われても、モーセには神さまを見ることができません。本当に神さまが自分の前に立っていてくださるのかを見て確認することができません。モーセは信じるしかありませんでした。「あなたの前に立つ」、その神さまの言葉を信じて、岩を打つのです。モーセに求められていたのは信仰でした。
神さまがともにいてくださる、それは神さまの約束です。私たちの状況や思いとは関係なく、神さまはいてくださいます。大きな問題の中にも、神さまから見捨てられたのではないか、そう思えるところにも、神さまはともにいてくださいます。私たちに求められているのは、ともにいるという神さまの約束を信じることです。
彼らについて来た霊的な岩
イスラエルの民が岩から出た水を飲んだ出来事は、使徒パウロがコリントの教会に宛てた手紙の中で取り上げています。そのパウロによれば、水を出した岩というのは、「彼らについて来た霊的な岩」でした。たまたま見つけた岩ではありません。イスラエルの民について来た岩です。驚くべきことに、岩の方がイスラエルの民を追いかけていたのです。
荒野を旅するイスラエルの民は、いつも必死に水を探していたのではないかと思います。しかし、実際には、水を出す岩の方がイスラエルの民を追いかけていました。他のどこかではなく、水はイスラエルの民の間にあったのです。イスラエルの民の間にこそ、決して尽きることのないいのちの泉が湧き出ていたのです。神さまがいつもともにいてくださったからです。
イスラエルの民は神さまを試みました。神さまがともにいてくださることを信じることができませんでした。しかし、神さまはその彼らの間にいてくださったのです。そして、モーセが打った岩から水を出してくださいました。岩から出た水によって、ご自分がともにいることを示してくださいました。不信仰なイスラエルの民の歩みを支えてくださいました。
イスラエルの民について来た岩はキリストを指し示しています。私たちの主イエス・キリストです。そして、イエスさまを信じて神さまの民とされている現在の私たちには、その主イエス・キリストの霊、聖霊が与えられています。私たちに信仰を与え、私たちが神さまの民とされていることを保証していてくださる聖霊です。そして、その主イエス・キリストの霊、聖霊は決して私たちを離れることがありません。聖霊はどんな時にも私たちとともにいてくださいます。そして、弱い私たちの信仰生活を支えていてくださいます。
祈り
何かあると、すぐに神さまを試みてしまう弱い私たちです。しかし、その私たちを神さまご自身が支えていてくださいますから、感謝します。新しく始まる一週間も、聖霊が与えられている恵みを覚えながら、神さまを見上げて生きる私たちとしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

