詩篇60編は重い雰囲気に包まれています。イスラエルの民はエドムとの戦いで苦しい状況に立たされているようです。神さまが自分たちとともに出陣してくださらない、神さまに拒まれている、詩篇60篇の詩人はそのように感じています。
それでも、詩人は諦めません。回復を求めます。「どうか 私たちを回復させてください」。自分たちで何とかしようとするのではありません。他の誰かの助けを求めるのでもありません。あくまでも、神さまに助けを求めるのです。
詩人の願いは単なる状況の改善や勝利ではありません。何よりも神さまとの関係が回復することでした。神さまから愛されていることを覚えながら、その神さまを第一として生きる、神さまとの互いに愛し合う関係の回復です。詩人が必死に願い求めた回復は、神さまとの関係そのものだったのです。
私たちはさまざまな問題を抱えます。しかし、私たちの根本的な問題はいつも神さまとの関係にあるのかも知れません。問われなければならないのは、神さまとの関係そのものです。
神さまは、私たちとの麗しい関係の回復のために、主イエス・キリストの十字架の死と復活のみわざを成し遂げてくださいました。神さまご自身が私たちとの麗しい関係の回復を望んでいてくださるのです。そして、すべては神さまとの相応しい関係の回復から始まります。
主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。(ローマ人への手紙4章25節)