詩篇59編の詩人はいのちを狙われています。冒頭から何度も神さまに救いを求めています。「向かい立つ者たちよりも高く/ 私を引き上げてください」。詩人は必死です。しかし、その祈りの中で、神さまへの信頼を告白していくようになります。「神が私の砦だからです」。そして、救いを確信する詩人の言葉には、ゆとりのようなものを感じさせられます。「神は 私に敵を平然と眺めるようにしてくださる」。
敵がいなくなったのではありません。敵はいます。しかし、その敵を平然と眺めることができるのです。敵の手は決して自分に届かない、詩人はそのことを知っていたからです。敵の手が届かない砦の上に引き上げてくださっているその神さまを、詩人は信頼していたのです。
現在の私たちには、詩人のいのちを狙ったような敵はいないかも知れません。しかし、試練や誘惑によって、神さまを見失うようなことは、私たちにもあります。私たちもまた、私たちを神さまから引き離そうとする敵に囲まれているのです。しかし、どのような敵の手も、私たちに届くことはありません。なぜなら、私たちのために成し遂げられた救いのみわざ、主イエス・キリストによる十字架の死と復活のみわざによって、私たちは向かい立つ者たちよりも高く引き上げられているからです。
だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。(ローマ人への手紙8章34節)