詩篇の祈りに導かれて(58)(週報2025年11月2日号)

 詩篇58編の背景には「力ある者たち」の不正や暴虐があります。その「力ある者たち」へのさばきを求める詩人の言葉には激しいものがあります。神さまのさばきを確信する詩人は「正しい人」が「復讐を見て喜び」と言います。「復讐を見て喜び」、現在の私たちも戸惑ってしまうような言葉です。

 使徒パウロは、「自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい」と教えています。自分で復讐したくなるのが私たちです。復讐したくても、その力がない、そんな場合もあるかも知れません。いずれにしろ、そんな私たちに神さまは言われます。「ゆだねなさい」。

 復讐を神さまにゆだねるのは決して簡単なことではありません。「ゆだねます」という一言で済むものではありません。ある先生は自分の思いを神さまに言い尽くさなければならないはずだと言われました。心を注ぎ出して、はじめて、ゆだねることになるのだと思います。

 自分の思いを言い尽くそうと思えば、表現が激しくなるのは自然なことです。そして、詩篇58編の詩人の心には、激しい言葉を繰り返すことなしには、言い尽くすことのできない思いがあったのです。心のうちにあるあらゆる思いを注ぎ出そうとするからこそ、激しい言葉が繰り返されることになったのです。そして、神さまはその思いを受け止めていてくださいます。

 痛み、悲しみ、口惜しさ、私たちが心の思いを尽くして祈るのを、神さまは待っておられます。

私は主の前に心を注ぎ出していたのです。(サムエル記第一1章16節)


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