説教音声・要旨 2025年11月2日(日)

主日礼拝説教:2025年11月2日(日)

聖書箇所:出エジプト記16章22~30節

説教題:主の聖なる安息

暗唱聖句

心せよ。主があなたがたに安息を与えたのだ。そのため、六日目には二日分のパンをあなたがたに与えている。七日目には、それぞれ自分のところにとどまれ。だれも自分のところから出てはならない。

出エジプト記16章29節

説教音声

説教要旨

いつまでわたしの命令とおしえを拒み、守らないのか

 神さまは荒野を進むイスラエルの民を天からのパンによって養われました。天からのパンはその日の分を集めることが基本でした。ただ、六日目だけは違いました。普段の二倍の分を集めるのです。残った分を保存して、七日目に食べるためです。七日目は「全き休みの日、主の聖なる安息」でした。七日目は、野に出て行っても、天からのパンを見つけることができません。

 しかし、その全き休みの日にパンを集めに出かける人たちがいました。それは単なるルール違反ではありませんでした。神さまのおしえと命令を拒むことでした。

 神さまを信じるというのは、神さまという方の存在を認めることとは異なります。神さまを信じるとは、神さまの命令とおしえに従って生きることです。信じることは、従うことにつながっていくのです。なぜなら、神さまを信じるとは、自分の人生を神さまにお任せすることだからです。神さまこそが自分の王であることを認めて、神さまのご支配を受け入れて、神さまに導かれて生きるのです。それが神さまを信じるということです。そして、だからこそ、信じることは従うことにつながるのです。

 従うと言われれば、強制されることのように思えるかも知れません。しかし、信仰や従順というのは、強制的なものではありません。私たちが神さまを信じて神さまに従うのは、神さまの愛を受け取ったからです。神さまの愛が分かったのです。神さまは、罪人の私を救い出すために、罪人の私とともに生きるために、かけがえのない御子イエス・キリストを十字架にかけることまでしてくださった、その神さまの愛をいただいたのです。だからこそ、私たちは、神さまを信じて、神さまの命令とおしえに従って生きることを願っているのです。

 神さまから愛されている恵みを覚えながら、神さまのおしえを喜び、神さまの命令に従う私たちであらせていただきたいと思います。

主があなたがたに安息を与えたのか

 「七日目には、それぞれ自分のところにとどまれ」、このような言葉を聞くと、何もしないでいることが安息であるかのように思うかも知れません。しかし、何もせずにじっとしているからと言って、それが安息になるのではありません。

 辞書で「安息」という言葉を調べると、「何の煩いもなく、くつろいで休むこと」と説明されていました。単なる休息ではありません。何の煩いもなく、くつろいで休むのです。恐れや心配から解放されて、自分を束縛するあらゆるものから解放されて、安心して休む、それが安息です。

 安息は私たちが自分で手に入れるものではありません。とにかくじっとしていれば、安息が訪れるのではありません。また、たくさんの富を築けば、社会の中で認められれば、安息が手に入るのでもありません。

 神さまは「主があなたがたに安息を与えたのだ」と言われました。安息は神さまが与えてくださるものです。そして、その安息のために、荒野を進むイスラエルの民に対しては、六日目に二倍のパンが与えられました。イスラエルの民は、神さまが六日目に二倍のパンを与えてくださったからこそ、七日目に安心して休むことができたのです。そして、彼らの安息を願っておられたのは誰よりも神さまご自身でした。神さまご自身が彼らの安息を願っていてくださったのです。

 私たちには安息が必要です。安息を必要としない人は一人もいません。そして、その安息を与えることができるのは神さまお一人です。神さまとの交わりにおいてこそ、私たちはまことの安息に与ることができるのです。安心してくつろぐことができるのです。なぜなら、神さまの愛は決して変わることがないからです。上手くいっているように思える時も、そうでない時も、生きている価値がないと思えるような時も、神さまの愛は変わることがありません。どんな時にも、神さまは私たちを愛していてくださいます。そして、そんな神さまの愛の中に、まことの安息はあるのです。

 「主があなたがたに安息を与えたのだ」、そう語られた神さまは、現在の私たちにも安息を与えてくださいます。神さまこそが私たちの安息を願っていてくださいます。そして、いつも私たちを招いていてくださいます。ご自分との交わりの中へと、私たちを招いていてくださいます。

祈り

 神さまから離れて安息を失った罪人の私たちです。そんな私たちの安息を願っていてくださる神さまの愛を覚えて感謝します。私たちの救いのために成し遂げられた主イエス・キリストのみわざを見上げながら、神さまの愛に満たされて歩むことができますように。新しく始まる一週間も祝福してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

2025.11.2 東近江キリスト福音教会「礼拝」説教レジュメ-01
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