主日礼拝説教:2025年10月19日(日)
聖書箇所:出エジプト記16章13~21節
説教題:その日の分を集めて
暗唱聖句
見よ、わたしはあなたがたのために天からパンを降らせる。民は外に出て行って、毎日、その日の分を集めなければならない。
出エジプト記16章4節
説教音声
説教要旨
その日の分を集めながら
水の問題で苦労したイスラエルの民は、今度は食べ物の問題に直面します。そのイスラエルの民のために、神さまは、「天からパンを降らせる」ことを約束されました。天からのパンはマナと呼ばれることになります。イスラエルの民は、約束の地に導かれるまでの四十年間にわたって、マナによって養われることになります。神さまご自身がイスラエルの民を養ってくださったのです。
さて、マナを集めるのにはルールがありました。自分が食べる分に応じて集めるのです。余るような集め方はしません。そして、集めた分はその日のうちに食べきります。翌日には残しません。次の日もその次の日も同じです。つまり、毎日、その日の分を集めて食べるのです。
その日の分を集めることによって、イスラエルの民に求められていたのは、その日その日、神さまに養われていることを覚えて生きることでした。神さまこそが養ってくださる方であることを信じて生きるのです。今日の分を与えてくださった神さまは、明日も明後日も、その日の分を与えてくださる、ずっと必要の一切を与えてくださる、神さまこそが養ってくださる方である、このことを信じてその日の分を集めていくのです。問われているのは信仰でした。
神さまを信じるとは、神さまを信頼することです。そして、その信仰というのは、一日一日、新しく求められるものです。それは、マナによって養われたイスラエルの民も、現在の私たちも同じです。今日の信仰で明日も明後日も生きていくのではありません。一日一日、新しく信仰をいただいて生きるのです。昨日まで養ってきてくださった神さまは、今日も養ってくださる、その信仰を日ごとに新しくいただいて生きるのです。
イスラエルの民をマナによって養ってくださった神さまは、現在の私たちも同じように養っていてくださいます。
イエスさまこそが天からのパン
荒野を進むイスラエルの民はマナによって養われました。現在の私たちは主イエス・キリストによって養われています。ただ、イエスさまに養われていると言っても、それはイエスさまが日ごとの糧を与えてくださることだけを意味しているのではありません。イエスさまが私たちを養っていてくださるのは、それ以上のことです。
イエスさまはマナによって指し示される方です。イエスさまこそが天からのパンです。いのちのパンです。決して朽ちることのない、永遠のいのちのパンです。イエスさまは、私たちに日々の糧を与えてくださるだけではなく、私たちを永遠のいのちに生かしてくださる方なのです。死んで終わりではないいのちに生かしてくださる方です。そして、私たちにとって、何よりも大切なことは、その永遠のいのちをいただくことです。
永遠のいのちとは、単純にずっと続くいのちということではありません。罪が赦されて、永遠なる神さまのものとされて、神さまとの交わりの中に生きることそのものです。神さまを心の中心にお迎えし、神さまの愛に満たされて、神さまに支えられて生きる、それが永遠のいのちです。そして、その永遠のいのちこそ、神さまが私たちに受け取ってほしいと願っていてくださるものです。なぜなら、神さまは私たちを愛していてくださるからです。神さまこそが私たちとともに生きることを願っていてくださるのです。神さまこそが私たちを求めていてくださるのです。
神さまは私たちに永遠のいのちを受け取ってほしいと願っていてくださいます。そして、私たちが永遠のいのちを受け取るために、主イエス・キリストの十字架の死と復活のみわざを成し遂げてくださいました。イエスさまは、私たちの罪が赦されて、神さまとともに新しく生きるために、私たちの罪を背負って十字架にかかってくださったのです。
どこに生まれたか、どんな人生を歩んでいるか、何を持っているか、どんなことを成し遂げたか、すべて関係ありません。イエスさまを自分の救い主として信じ受け入れる人には、誰にでも永遠のいのちが与えられるのです。
神さまは私たち一人ひとりを愛していてくださいます。そして、永遠のいのちの道に招いていてくださいます。
祈り
御子イエスさまを与えてくださるほどに私たちを愛していてくださる神さまこそが、私たちを養い、私たちを永遠のいのちに生かすことができる方です。新しく始まる一週間も、神さまから愛されていることを覚え、神さまご自身に養われて生きる私たちとしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。