説教音声・要旨 2025年10月12日(日)

  • 日時:2025年10月12日(日)10時
  • 聖書箇所:第一コリント7章8~16節
  • 説教題:平和を得る

暗唱聖句

神は、平和を得させようとして、あなたがたを召されたのです。

第一コリント7章15節

説教音声

説教要旨

神を信じることは平和を得させていただくこと

「神は、平和を得させようとして、あなたがたを召されたのです。」(15)

聖書の書かれた目的は、イエスさまを神の子と信じるためであり、また信じて、イエスさまのお名前によっていのちを得るためです(ヨハネ20・31)。今朝の個所も、結婚生活について書かれてはいますが、いわゆる結婚生活とはいかにあるべきか、ということが書かれているのではなく、いかにイエスさまに対する信仰生活が祝福のうちに前進し全うしていけるか、が書かれています。そのためにたとえば結婚生活においてはどう送ればよいかが書かれているのです。

パウロは、独身生活であれ、結婚生活であれ、大切なことは、神さまは、平和を私たちに得させようとして召してくださった、救ってくださったのだ、と語ります。いわゆる立派な独身生活や立派な結婚生活を送れていたとしても、日々の信仰生活に平安がないならば、無意味であるというのです。日々の信仰生活が平安であるためには、ある人にとっては独身生活が良いかもしれません。ある人にとっては結婚したほうが良いかもしれません。どのような形であっても良いのです。大切なことは、日々イエスさまを主と仰ぎ見て、信仰生活を平安のうちに送り、天の御国に前進することです。いかによりよく主に仕えて行けるかどうかなのです。

パウロはイエスさまを信じ救われたことを、「召された」と言います。呼び出された、という意味です。この世に生きている私たちを神さまが呼び出してくださった。それが救われたということです。

呼び出された目的は、平和を得させるため、です。平和とは戦争のない状態です。ともに生きる人たちの間に戦いがない。あるいは自分自身との関係において戦いがない。そのために神さまは私たちを呼び出してくださいました。

また平和とは心身ともに平安な状態のことです。自分らしく希望をもって人生を生きていくことができるようにしてくださった。そのために私たちは救われたのです。それが、永遠のいのちに生きる、ということです。死後の永遠のいのちも大切ですが、今この時に尽きることのない泉のようないのちに生き生きと生きるようにと私たちは招かれているのです。

そのような平和に生きるには、まず、神さまとの関係において平和をいただかなければなりません。救われるということは、神さまとの関係において平和をいただいた、ということです。自己中心の罪の中にしか生きることの出来なかった私たちのために、神自らがいのちを捨ててくださり、罪を解決してくださいました。死と滅びに向かう私たちのために、主は復活し、永遠のいのちに生きるように私たちを新しくしてくださいました。

神さまとの平和に生きる者としていただき、そうして自分と、またともに生きる人たちと平和に生きるようにと私たちは召されたのです。その目的にしたがって結婚も独身も考えていくのです。

救いは神さまのもの

「妻よ。あなたが夫を救えるかどうか、どうして分かりますか。また、夫よ。あなたが妻を救えるかどうか、どうして分かりますか。」(16)

救いは主のものです。人間の努力によって救いが実現するのではありません。確かに愛する者が救われるために愛の配慮、祈りの積み重ね、は大切なことだと思います。しかしかといってそれで人が救われるのではありません。

愛する家族がなかなか救われない中にあるとき、苦しみ悩みます。祈りが足りないのだろうか。愛の配慮が足りないのだろうか。愛とは程遠い生活をしてしまっているからだろうか。いい証しが、たてられていないからだろうか、と悩みます。

しかし救いは主のものです。私たちは愛する者を救うことができるかどうかは私たち人間には分からないことなのです。私たち人間は神さまに委ねていればよいのです。

救われた者のきよめの力

「なぜなら、信者でない夫は妻によって聖なるものとされており、また、信者でない妻も信者である夫によって聖なるものとされているからです。そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れていることになりますが、実際には聖なるものです。」(14)

信者は伴侶が未信者であっても、その信仰によって聖なるものとされている、とパウロは語ります。聖なるもの、とは神さまのものとされている、という意味です。驚くべきことです。

実際には積極的な信仰の表明をしているわけではない。もしかしたら信仰に反対しているかもしれない。しかしすでに神さまのものである。信仰に生きる者が、喜びと感謝をもって、日々平和の中に信仰生活を歩んでいるならば、その信仰が、未信者の伴侶をきよめる。さらには信仰に導く。そう語るのだと思います。それがいつであるのかは私たちにはわかりません。しかし平和のうちに、そして平安のうちに信仰生活を歩んでいるならば、必ずその時がやってくるのです。信じて待ち望みたいと思います。

また子どもは聖なる者である、とパウロは語ります。この世に誕生した、ということ自体に神さまの深いご愛があり、配慮があると語るのです。望んでも与えられない家庭が無数にある中に、子どもが与えられているということに私たちは畏れと謙遜をもって感謝しなければなりません。そこに神さまの奇跡があるのですから。

祈り

あなたの恵みの御力を見失わないように守ってください。どのような生き方であっても、その生き方を喜び、自らの弱さを受け入れつつも、祝福してくださるあなたにお委ねしながら、信仰生活を全うすることができるように守ってください。たとえ平安のない日々を送ることがあったとしても、あなたとの平和はけっして揺るがされることがないように守ってください。

説教20251012-01
説教20251012-02


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