説教音声・要旨 2025年9月14日(日)

  • 日時:2025年09月14日(日)
  • 聖書箇所:第一コリント6章15~20節
  • 説教題:自分のからだをもって

暗唱聖句

  あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。 

第一コリント6章20節

説教音声

説教要旨

淫らな行いを避けなさい

 コリントの教会には淫らな行いをする信者がいました。しかも開き直ってその行為を正当化していました。からだの外のことと内のことを区別して、内面、すなわち精神さえきよければ、からだの外側のことはどうでもよいと正当化していたのです。

 それに対してパウロは、イエスさまを信じた者はみなイエスさまのからだの一部である、もし遊女と交わるならば、それはイエスさまのおからだの一部を取って、遊女のからだの一部とするような行為である、そんなことは決してあってはならない、と厳しく戒めました。

 教会はキリストからだです(エペソ1・23)。ひとりの人の淫らな行いが、キリストのからだの一部を、遊女のからだの一部とする、ということであるならば、ひとりの人の罪は、教会全体を破壊しかねないものである、ということかもしれません。(詩篇51編18節)

 「あなたがたは知らないのか」という言葉が今朝の個所には3回繰り返されています。常識として知っているはずだ、という意味ではなく、洗礼を授けていただくに際して、その洗礼準備の中ですでに学んだことではないか、という意味です。

 教会では洗礼準備において倫理的な問題を学びます。倫理的な問題は、イエスさまとの関係の問題、すなわち信仰の問題であるとキリスト教会は語ります。

 イエスさまを信じた私たちは、結婚において別の人格が一つに結び合わされるように、イエスさまと一つに結び合わされたのです。あらゆる罪はさまざまな影響を私たちに与えますが、とくに淫らな行いは、人間をその根底から破壊するものです。異性を欲望の対象として人格のない「もの」のように扱うことであり、せっかく麗しい家庭を築くために人間に与えてくださった愛が乱用され、人間関係が破壊されます。そして罪を犯す自らのからだを蝕み滅ぼします。

 パウロは淫らな行いを「避けなさい」と言いました。立ち向かって克服せよ、とは言いません。それはこの罪の恐ろしさを知った者の言葉なのだと思います。

からだをもって神の栄光を現しなさい

 イエスさまを信じた時から、私たちはイエスさまと一つに結び合わされました。私たちのからだは「聖霊の宮」(19)です。聖霊は私たちのうちにいてくださいます。主にある者はみな聖霊を神さまから受けました。私たちが獲得したのではありません。私たちは代価を払って買い取られた者です。この代価とはイエスさまのおいのち、すなわち神のいのちです。この上なく高価な代価が、私のために支払われたのです。そうして買い取られた私たちには、新しい主人のもとで、新しく生きる道が与えられたのです。

 新しい主人とは、イエスさまご自身です。この永遠のまことの神であり、まことの人となられたお方が新しい主人となられました。イエスさまを主人として従っていく者、それがキリスト者です。

 イエスさまを主人とした者は、その「自分のからだをもって神の栄光を現しなさい」とパウロは語ります。私たちはみな神さまのご栄光を現す人生へと招かれています。

 栄光とは、ヘブル語で「重たい」という意味と同じである、と言われます。重たい、すなわち存在感がある、ということです。私たち自身が、また私たちの語る言葉、ふるまう態度が、まさにそこに神さまがおられる、と誰が見ても明らかである。そんな人生に招かれているのがキリスト者なのです。

 私のからだは、聖霊の宮、すなわち神さまの御住まいになっておられる神殿なのですから、神殿としてふさわしく取り扱わなければなりません。まさにきよらかな神さまがお住まいになっておられるようなたたずまい、姿、言動、所作となっていく。それが聖霊の宮として、からだをもって神の栄光を現すことです。私の語る言葉、ふるまいが、誰かを励まし慰め、力づけている、ということです。

 このような神さまの存在感を現すにはどうすればよいか。すでに神さまは私の内にいてくださいます。もし神さまの存在感が現れていないとすれば、邪魔をするものがそこにあるからかもしれません。何が邪魔をしているのか。それは「自分自身」です。すでに私たちは「神さまのもの」とされ、うちには聖霊なる神さまがお住まいになっておられます。その神さまの邪魔をしないようにする。そのためには、自分の栄光を誇ろうとしないことです。自分の存在感をしめそう、自分をひけらかそうとしないことです。この誘惑に勝たないと神さまの栄光は現れません。

 自分に自信がなく、劣等感や自分の人生にどこか否定的な心を持っていればいるほど、自分の価値を示したい、証明したいと躍起になるものです。しかし私たちは、自分で自分の価値を示そうとしなくても、すでに神の御子イエス・キリストという最高の代価を払って買い取られた尊い存在なのです。私の内には、聖霊が住んでいてくださいます。私は、もはや私のもの、ではなく、神さまのもの、なのです。安心して、うちにいてくださる聖霊の輝きを邪魔しないようにしていればよいのです。

祈り

 私のからだを、まるで私のもののように扱ってしまう罪を赦してください。御子イエスさまの尊いおいのちによって買い取られた私であることを深く知り、謙遜にあなたのご栄光のみを現す者として遣わしてください。

説教20250914-01
説教20250914-02


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