詩篇51編は「神よ 私をあわれんでください」という言葉から始まります。そして、「私の背き」、「私の咎」、「私の罪」と続きます。詩人は自分の罪に打ちのめされていたようです。詩人はそんな自分のことを「砕かれた霊」、「打たれ 砕かれた心」と表現しています。
砕かれた物には価値がなくなります。どんなに高価な物であっても同じです。砕かれてしまえば、価値がなくなります。捨てられてしまうだけです。
「砕かれた霊」、「打たれ 砕かれた心」というのは、壊れた物のように、自分には何もないことを思い知らされている人のことです。「こんなことをしています」、「悪いことはしていません」、神さまに評価してもらえそうな何かが、自分には何もありません。自分の誇りとする何か、自分を支えている何か、それが粉々に打ち砕かれています。神さまに支えていただかなければ、立っていることができない、そんな自分であることを思い知らされているのです。しかし、神さまはそのような砕かれた人を蔑まれることがないのです。
詩人は自分ではどうすることもできない罪によって打ち砕かれていました。打ち砕かれた自分そのままを神さまに献げました。神さまのあわれみを知っていてからです。
私たちも詩人と同じ罪人です。そして、神さまはそんな私たちをあわれんでいてくださいます。私たちがご自分によって立て上げられることを願っていてくださいます。
「あわれんでください」、ここがスタートです。
神様、罪人の私をあわれんでください。(ルカの福音書18章13節)