詩篇の祈りに導かれて(49)(週報2025年8月31日号)

 詩篇49編で見つめられているのは死の問題です。誰も死から逃れることはできません。どんなに多くの財産を持っている人も同じです。私たちのいのちはこの世の財産で売り買いできるほどに安っぽいものではないのです。私たちのいのちは高価なのです。そして、そのことを誰よりもよく知っていてくださるのは神さまです。神さまこそが、私たちのいのちの価値を知っていてくださり、私たちのいのちを大切に思っていてくだいます。

 詩篇49篇の詩人は「神は 私のたましいを贖い出し よみの手から 私を奪い返してくださる」と確信しました。

私たちを罪と死の支配から贖い出すために、神さまはかけがえのない御子イエスさまのいのちを犠牲にしてくださいました。私たちが罪と死の支配から贖い出されるためには、イエスさまのいのちが贖いの代価として支払われるしかなかったのです。そして、神さまはイエスさまのいのちを惜しまれませんでした。私たちのいのちは御子イエスさまのいのちに等しいものなのです。

 財産が私たちの価値を決めるのではありません。何かの役に立っているかでもありません。私たちの造り主である神さまご自身が、私たちを罪と死の支配から贖い出すために、十字架の死と復活のみわざを成し遂げてくださった、そこに私たちの価値はあるのです。

人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。(マルコの福音書10章45節)


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