詩篇47編の詩人は「すべての国々の民」に神さまへの賛美を呼びかけます。神さまは「全地を治める 大いなる王」だからです。
とは言っても、実際には「すべての国々の民」が、まことの神さま、主を自分たちの王として受け入れているのではありません。
イスラエルは決して強い国ではありませんでした。弱い国です。強い国ににらまれれば、大騒ぎをすることになるような弱小国です。しかし、そのイスラエルの詩人が「すべての国々の民」に賛美を呼びかけるのです。これは驚くべきことです。強い国々の民からは鼻で笑われてしまっていたかも知れません。
神さまは「全地を治める 大いなる王」です。イスラエルの中においてだけではありません。「国々を統べ治めておられる」方です。そして、その神さまはご自分が「全地の王」であることを、イスラエルを通して証しされました。強くて大きな国を通してではありません。弱くて小さなイスラエルを通して、ご自分が「全地の王」であることを証しされたのです。それは、主イエスさまを自分の王として信じ受け入れて、「アブラハムの神の民」として集められた現在の私たちにも当てはまることです。
イスラエルは弱くて小さな国でした。しかし、神さまに選ばれて用いられました。同じように、私たちも弱くて小さな者です。しかし、神さまが選び用いようとしてくださっている私たちです。
幼子たち、乳飲み子たちの口を通して、/ あなたは誉れを打ち立てられました。(マタイの福音書21章16節)