詩篇の祈りに導かれて(44)(週報2025年7月27日号)

 詩篇44編の詩人によると、イスラエルの民は国々の民の間で物笑いの種とされていたようです。詩人は、神さまとの契約を持ち出して、神さまの助けを求めます。「私たちを贖い出してください」。しかし、詩篇44編の中には、神さまの応答がありません。助けを求める詩人の祈りは、空しく響きます。

 詩人は神さまに向かって「あなたのために 私たちは休みなく殺され/ 屠られる羊と見なされています」と訴えました。イスラエルの民は、休みなく殺され、屠られる羊でした。

 後に使徒パウロは、休みなく殺され、屠られる羊のようなイスラエルの民と、イエスさまを信じる歩みの中で苦難を受ける自分たち教会とを、重ね合わせています。パウロやローマの信徒たちも、休みなく殺され、屠られる羊でした。

 しかし、そんな自分たちのことを、パウロは「圧倒的な勝利者」と呼びます。休みなく殺され、屠られる羊のような自分たちが、圧倒的な勝利者なのです。それは「私たちを愛してくださった方によって」のことでした。

 信仰者も苦しみます。信仰者だからこそ苦しむことがあります。そして、苦難の中で神さまを遠くに感じながら祈ることもあるかも知れません。しかし、神さまはそんな私たちを圧倒的な勝利者としていてくださいます。なぜなら、キリストにある神さまの愛は決して変わることがないからです。

どんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。(ローマ人への手紙8章39節)


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