主日礼拝説教:2025年7月20日(日)
聖書箇所:出エジプト記12章37~51節
説教題:主が寝ずの番をされた
●暗唱聖句
それは、彼らをエジプトの地から導き出すために、主が寝ずの番をされた夜であった。それでこの夜、イスラエルの子らはみな、代々にわたり、主のために寝ずの番をするのである。
出エジプト記12章42節
●説教音声
●説教要旨
割礼を受けなければ
エジプトの地を出発したイスラエルの民の中には「入り混じって来た多くの異国人」がいました。そして、彼らのことを念頭において、神さまは「過越に関する掟」を付け加えられました。それは「異国人はだれも、これにあずかってはならない」ということでした。ただ、その人の家の男子がみな割礼を受けるならば、過越のいけにを献げることが認められました。
割礼を受ければ、過越のいけにえを献げることができる、そのように言われれば、割礼とは単なるチケットのようなものに思えてくるかも知れません。過越のいけにえを献げる権利を得るためのチケットです。しかし、割礼はチケットのようなものとは根本的に異なります。割礼は、神さまの一方的な恵みによって、神さまの民とされた目に見えるしるしです。
旧約聖書の中で、神さまから割礼を命じられた最初の人はアブラハムです。神さまはアブラハムを選んでご自分の民とされました。そして、神さまがアブラハムを選んでご自分の民とされた理由は何も分かりません。特別な能力があったからではありません。人間ができていたからでもありません。そうではなくて、私たちには分からない、神さまご自身のみこころによって、アブラハムは神さまに選ばれたのです。そして、その神さまの一方的な恵みを、アブラハムは信仰によって受け取りました。アブラハムは、自分が一人の罪人に過ぎないことを認めながら、その自分を選んでくださった神さまの一方的な恵みを、信仰によって受け取ったのです。割礼はそのようにして神さまの民とされた恵みのしるしでした。
割礼は神さまの民として選ばれた自分の何かを誇り、自分の権利を主張するためのものではありません。むしろ、その反対です。神さまに選ばれる何の理由も資格もない、そんな罪人の自分を選んでくださった神さまの恵みを覚えていくところに、割礼の意味はあるのです。
現在の私たちは割礼を受けません。割礼ではなくて、洗礼を受けます。過越の子羊として屠られてくださった主イエスさまが、洗礼を命じてくださったからです。イエスさまこそが自分の罪のために屠られてくださった過越の子羊であることを信じる私たちは、救われて神さまの民とされている恵みを、洗礼によって確信し、聖餐に与りながら、神さまの民として養われていくのです。
主が寝ずの番をされた
イスラエルの民がエジプトの地を出た日のことを、聖書は「彼らをエジプトの地から導き出すために、主が寝ずの番をされた夜」と証しします。「主が寝ずの番をされた夜」です。
イスラエルの民がエジプトを出発する時、神さまは寝ずの番をしてくださいました。イスラエルの民を送り出して、どこかに行ってしまわれたのでも、眠ってしまわれたのでもありません。神さまは、イスラエルの民がエジプトから出て行くのを、寝ずの番をしながら、ずっと見守っていてくださいました。神さまが寝ずの番をしてくださったからこそ、イスラエルの民は無事に出発をすることができたのです。そして、神さまが寝ずの番をしてくださったのは、出エジプトの時だけではありません。後に、ある詩篇の詩人は、「イスラエルを守る方は/ まどろむこともなく 眠ることもない」と歌いました。イスラエルの民の歩みは、寝ずの番をしてくださる神さまによって支えられたのです。
寝ずの番をしながら、出エジプトの民を見守ってくださった神さまは、私たちの信仰生活も同じように見守っていてくださいます。
私たちの人生にはいろいろなことが起こります。大きな問題が起こることもあります。反対に、平穏無事に過ごせているように思える日々もたくさんあります。そして、神さまはそのすべての時を見守っていてくださいます。何も起こっていないように思える時は、神さまも眠っておられるということではありません。何かがあると、「ちょっとウトウトしていた」と言いながら、慌てて対応をしてくださるのではありません。そうではなくて、神さまはどんな時にも私たちを見守っていてくださるのです。もしかしたら、私たちが何もないかのように思っている時にこそ、神さまは熱心に働いていてくださると言っても良いのかも知れません。
どんな時にも神さまに見守られている恵みを覚えながら、平安をいただいて、新しい一週間の歩みに遣わされていきたいと思います。
●祈り
寝ずの番をしながらイスラエルの民を送り出された神さまが、私たちのこともいつも支えていてくださる恵みを覚えて感謝します。新しく始まる一週間も、神さまを見上げながら、平安をいただいて歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

