詩篇39編の詩人はひたすら黙っていました。それは舌で罪を犯さないためです。詩人は、舌で罪を犯さないように、口に口輪をはめて、沈黙を守っていたのです。しかし、詩人は、「沈黙を守ることで、平安を得ることができたのか」と言えば、決してそうではありませんでした。詩人は、沈黙を守ろうとすればするほどに、かえって苦しむことになりました。
新約聖書のヤコブの手紙でも指摘されていることですが、舌は曲者です。私たちは舌によって罪を犯してしまいます。しかし、「それでは、何も話さなければ、罪を犯さなくてすむのか」と問われれば、決してそうだとは言えません。私たちが罪人であるのは、沈黙を守ることによって、変わるようなことではないからです。私たちは存在そのものが罪人なのです。そんな私たちが、舌で罪を犯さないように、ひたすら黙っているとするならば、それは自分の力で自分の義を証明しようとしているだけのように思います。
沈黙の苦しみに耐えられなくなった詩人は、神さまに向かって口を開きました。人生のはかなさと空しさを嘆き、苦しみを訴え。必死に助けを求めました。詩人は、一人の罪人として、神さまの救いを求めたのです。
私たちは罪人です。しかし、神さまは私たちを愛していてくださいます。私たちはいつでも神さまの御前に出ることができます。神さまこそが私たち罪人の避けどころだからです。
「私のすべての背きから 私を助けてください。」(詩篇39編8節)