- 日時:2025年06月08日(日)
- 聖書箇所:第一コリント4章14~21節
- 説教題:信仰の力
●暗唱聖句
神の国は、ことばではなく力にあるのです。
第一コリント4章20節
●説教要旨
◎倣う者となる恵み
パウロは、コリントの信仰者たちに恥ずかしい思いをさせるのではなく、諭すため、教え導くためにこの手紙を書いていると語りました。パウロにとって彼らは「私の愛する子ども」です。真実に愛しているならば、厳しい言葉も語られます。厳しい言葉を語ることができるのは、そこに信頼があるからです。聖書に厳しい言葉が書かれているのは、神さまがまことの愛のお方であり、私たちを信頼しておられる方である証拠です。
「私に倣う者となってください。」(16)
パウロは、自分があなたがたの信仰の父である、だから私に倣う者になって欲しい、と語りました。イエスさまは「あなたがたは地上で、だれかを自分たちの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただ一人、天におられる父だけです」(マタイ23・9)と言われたのですが、パウロは大胆に、自分はコリントの教会の信徒たちの信仰の父である、と語るのです。イエスさまの教えに反しているのでも、偉そうにしているのではありません。子は父に倣って成長します。それと同じようにコリントの信仰者たちの信仰が成長をすることを願って、そのために自らを父と示しているのです。
パウロに倣う者となるために、パウロはテモテを遣わしました。テモテはすぐれた伝道者だったと思いますが、遣わされた理由は「主にあって忠実な子」だったからです。パウロがあらゆるところ、あらゆる教会において教えていること、そしてキリスト・イエスにあるパウロの生き方を思い起こさせてくれる人物だったからです。信徒を真のキリスト者として成長させることのできる伝道者とは、「主から受けたこと」(11・23)、「私も受けたこと」(15・3)を、忠実に伝えることのできる人です。
そうして忠実に伝えられたものに「倣う者」になってほしいとパウロは語りました。キリスト教信仰に生きるとは、この「倣う者」として成長していくことです。
信仰生活をどのように送ればよいのか。礼拝はどのようにささげればよいのか。祈りはどのようにすればいいのか。日々の信仰生活で気をつけなければならないことはどのようなことだろう。イエスさまが喜んでくださることを行いたいが、それは具体的にはどのようなことなのだろう。すべて「倣う者」となることによって形作られていきます。
◎信仰の力は神の国に生きること
しかしパウロのように「私に倣う者となってください」と、私たちは胸を張って言うことができるだろうか。むしろ私を見ないでください、神さまだけを見てください、と言いたくなるのではないだろうか。謙遜ということでは大切なことかもしれません。しかし主にある者は、みな胸を張って「私に倣う者となってください」ということができるのだと思います。なぜなら、神の国は言葉にあるのではなく、力にあるからです。
「神の国は、ことばではなく力にあるのです。」(20)
信仰において、いくら言葉を語っていても、実際に何かが行われなければ意味がない、とも読むことが出来るかもしれません。しかしイエスさまは「ことば」としてこの世に来られました(ヨハネ1章)。私たちの言葉には力がないかもしれません。しかしまことのことばであるイエスさまは、恵みとまことに満ちておられます。力に満ちておられます。私たちはこの力に満ちたことばによって生かされています。
「神の国」とは神さまが王さまとなって私たちを支配していてくださることです。神さまに支配されているならば、すでに恵みとまことの力、光に満ちているはずです。しかしコリントの信仰者たちは、力に満ちていません。むなしい言葉が飛び交っているだけでした。彼らは「思い上がっていた」(18)からです。思い上がるという言葉は、自分を王さまにしている、ということです。自分が王さまとなっているならば、そこには神さまの力があるはずがありません。
自分が王さまとなっているか、それとも神さまが王さまとなっていてくださるか。信仰生活の祝福はこの一点にかかっています。
「主のみこころであれば、すぐにでもあなたがたのところに行きます」(19)
パウロは、コリントにすぐにでも行って、自分が王となってむなしい言葉が交わされているコリントの信仰者たちを諭すこともできたのだと思いますが、主のみこころであるかどうかがパウロの行動の決め手でした。いくら自分が行きたくても、あるいは行くことが必要であると多くの人が賛同したとしても、神さまが行けと言われない限り行きません。徹頭徹尾、神さまが主であり王なのです。ですからパウロのことばには、力があります。
神さまをまことの王とする。神さまをまことの王とした人たちに倣う。そこに力があります。神の国に生きる恵みと真実、そして喜びと感謝がそこにあるのです。
●祈り
二千年のキリスト教会に生きた先輩のキリスト者たちに倣う者とならせてください。そうしてむなしい人間の言葉ではなく、神さまを王とした者だけが知り味わうことのできる力に生きることが出来ますように。