詩篇37編は「腹を立てるな」という言葉から始まります。「腹を立てるな」という言葉から始まる詩編は、私たちがいかに腹を立てやすい者であるかを物語っています。
私たちが腹を立てるのは、どこか納得のいかないところがあるからです。自分の思い通りになっていない、自分の思いを実現できていない、そんな心の中の思いが腹を立てることにつながっていきます。そして、それはまさに自分が中心になっていることでもあるように思います。ねたみを起こすことも同じです。
「腹を立てるな」、「ねたみを起こすな」と忠告した後、詩人は私たちの目を主に向けさせます。「主に信頼し」、「主を自らの喜びとせよ」、「あなたの道を主にゆだねよ」、「主の前に静まり」。その上で、もう一度「腹を立てるな」に戻っていきます。
腹を立てている時、ねたみを起こしている時、自分の目はどこを向いているだろうか、私は詩篇37編の冒頭部分を見ながら、そう問いかけられているように思いました。
私たちは腹を立てやすい者です。ねたみを起こしやすい者です。そして、その腹立ちやねたみというのは、無理やりに押さえつけたり断ち切ったりできるものではありません。
詩人は「腹を立てるな」と忠告する前に、「主の前に静まり 耐え忍んで主を待て」と教えました。
神さまにゆだね、神さまの御前に静まりたいと思います。必要なことは神さまが成し遂げてくださいます。
主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる(詩篇37編5節)