主日礼拝説教:2025年6月1日(日)
聖書箇所:出エジプト記10章3~11節
説教題:一緒に行く
暗唱聖句
モーセは答えた。「若い者も年寄りも一緒に行きます。息子たちも娘たちも、羊の群れも牛の群れも一緒に行きます。私たちは主の祭りをするのですから。」
出エジプト記10章9節
説教音声
説教要旨
誰も欠けてはならない
イスラエルの民の解放を認めないファラオとエジプトの地に、災いが降りかかります。雹の災害の次はいなごの災害です。雹の災害を免れた草木がいなごに食べ尽くされるのです。エジプトの滅亡を予感するファラオの家臣たちは、モーセの要求を受け入れて、イスラエルの民の解放をファラオに進言します。そして、その進言を受けて、ファラオはイスラエルの民がエジプトを出て主に仕えることを認めます。ただ、全員を行かせようということではありません。行かせるのは、「壮年の男子だけ」です。
ファラオが「壮年の男子だけ」と言った何よりの狙いは、残りの者を人質に取っておくことです。ただ、その言葉の背景には、男性が中心になって宗教的な儀式を執り行っていた事情もあったのではないかと思います。重要な儀式は男性が行っていたのです。
モーセはファラオに対して全員が一緒に行くと宣言します。「若い者も年寄りも」、「息子たちも娘たちも」、「羊の群れも牛の群れも」、一緒に行きます。そして、それは、「主の祭りをするから」です。モーセは、主の祭りをするからこそ、神さまを礼拝するからこそ、全員が一緒に行くのだと言ったのです。
単なる儀式であるならば、代表者だけでも十分だったのかも知れません。ファラオの言う通りです。残りの人は「よろしく」ということでも良かったのかも知れません。
礼拝は神さまとの出会いです。神さまとの生きた交わりです。生きておられる神さまが私たちを招いておられるのです。そして、神さまが招いておられるのは、すべての人です。一人ひとりです。なぜなら、神さまにとって、大切でない人は一人もいないからです。神さまは私たち一人ひとりとの出会いを願っていてくださるのです。誰一人として、欠けてはなりません。そして、そんな神さまの招きに答えるのは、自分自身でなければならないのです。誰か他の人に頼めるようなことでは決してありません。
おいしい料理を味わおうと思ったら、自分で食べなければなりません。人任せにすることはできません。自分で食べるからこそ、味わうことができるのです。そして、同じことは神さまとの関係においても言えるのだと思います。
神さまは、かけがえのないご自分の御子イエス・キリストを犠牲にしてくださるほどに、私たちを愛していてくださいます。そして、その神さまの愛をいただいて味わうのは、自分自身でなければできないことなのです。
主がともにいてくださる
「私がおまえたちとおまえたちの妻子を行かせるようなときには、主がおまえとともにあるように、とでも言おう。だが、見ろ。悪意がおまえたちの顔に表れている」。全員が一緒に行くというモーセの言葉に対するファラオの答えです。ファラオはかなり分かりにくい言い方をしていますが、言いたいことは「おまえたちの妻子は行かせないぞ」ということであり、「主はおまえたちとともにおられないぞ」ということなのだと思います。要するに、ファラオは脅しているのです。主はおまえたちとともにいない、出て行ったら、むしろ大変なことになる、そのような脅しです。
神さまはいつもともにいてくださいます。主という神さまのお名前そのものに、「ともにいる」という意味が込められています。神さまは、主というお名前によって、「わたしがあなたがたとともにいるよ」と語りかけていてくださるのです。
後に、エジプトを出たイスラエルの民の歩みは、決して平坦なものではありませんでした。食べるものがない、飲む水がない、敵と戦うこともある、それはとても険しい道のりでした。こんなことだったら、エジプトにいた時の方が良かった、そのように言い出す輩もたくさん出てくるほどでした。ファラオの言葉は、当たらずとも遠からずと思えてきたりします。しかし、それでもやはり、ファラオの言葉は決定的に間違っていました。なぜなら、神さまはいつもイスラエルの民とともにいてくださったからです。神さまこそが険しい道を行くイスラエルの民の歩みを支え導いてくださったのです。
私たちの目の前にファラオはいませんが、不安や疑いを抱くのは、出エジプトの民と同じです。しかし、そんな私たちに、主はいつも語りかけていてくださいます。
日々、新しく信仰をいただいて、ともに神さまに導かれて歩ませていただきましょう。
祈り
主イエス・キリストの父なる神さま、私たち一人ひとりを愛していてくださることを感謝します。礼拝に集まる一人ひとりが、私たちが関わりを持っている一人ひとりが、信仰をいただいて、あなたの愛を喜び味わうことができますように。新しい一週間の歩みも導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

