- 日時:2025年05月25日(日)
- 聖書箇所:第一コリント4章6~13節
- 説教題:高ぶることから自由にされる
●暗唱聖句
主を恐れることは知恵の訓戒。謙遜は栄誉に先立つ。
箴言15章33節
●説教要旨
◎越えてしまう、思い上がってしまう
「書かれていることを越えない」。「一方にくみし、他方に反対して思い上がることのないように」。この「思い上がる」という言葉は「ふくらませる」という意味の言葉です。越えてしまう。ふくらまそうとする。等身大に生きようとしていない。このままだったら自分のサイズではない大きさに生きることになってしまう。これがコリントの教会に起こっていた問題の根本的な問題でした。
私たちはみなそれぞれ違いを持っています。持って生まれた能力、得意なこと、得意でないこと、それぞれに違いがあります。自分のサイズを持っています。そのサイズに合った生き方をしているとき平安と安心があり、幸せなのだと思います。能力以上の荷物を積んだ自動車が早々に壊れてしまうように、自分を大きく見せようとしたり、さまざまな面で自分を越えてしまうような生き方をしていると、自分自身を破壊してしまいます。そのような生き方は、自分を破壊するだけではなく、やがて周りをも巻き込んでさまざまな問題を生み出すのです。
どうして自分を越えたり、自分を大きく見せようとしてしまうのか。等身大の自分自身に生きればよいのに、そのように出来ないのか。結局自分自身に自信がないからではないかと思います。自分のありのままの姿を受け入れられていない。どこか否定的に考えてしまっている。だからその自分を越えてしまったり、大きく見せようとしてしまう。そのためにパウロやアポロを持ち出して自分を大きく見せるために利用してしまう。パウロやアポロにつくと言いながら、自分が王さまのようになってすべてを支配しようとしてしまう。すべて自分自身への自信のなさが生み出しているのではないだろうか。
◎神さまの愛の中に自分を置こう
「いったいだれが、あなたをほかの人よりもすぐれていると認めるのですか」(7)。
あなたをほかの人よりもすぐれているなどと、いったい誰が認めているのか、と叱責の言葉として読むことが出来ると思います。
しかしあらためて、私をほかの人よりもすぐれていると認めるのはいったい誰なのか、と問うてみたいと思います。それは神さまご自身なのではないでしょうか。
神さまは、罪人である私に向かって、高価で尊い存在である、あなたを無条件で愛している、と語ってくださいました(イザヤ書43・4、ルカ15章)。その愛を明らかにするために十字架にかかり、復活してくださいました。私たちが生きるために、すべてのものを与えていてくださいます。いただかなかったものは何一つありません。自分の手柄のように誇るのは滑稽なことです。神さまはすべての良いものを与えていてくださるのです。
神さまは私という存在を「すぐれている」、尊い存在である、無限の価値ある者だ、と認めていてくださいます。ですからキリスト教信仰に生きる者は、自分の力によって、自分を大きく見せる必要がありません。自分を大きく見せるために、自分を越えたり、ふくらませたりする必要がないのです。すべてのものはいただいたものですと喜びと感謝をもって告白することが出来ます。たとえこの世的にはすぐれているとの評価がなかったとしても、天と地を造られたまことの神さまが私をすぐれていると認めていてくださっている、と私たちは胸を張って応えることが出来るのです。
パウロは、この世の人間の評価ではなく、神さまの前にすぐれたものであると認められていることを確信していたのだと思います。だから高慢から解放され、自由な心で次のように言うことが出来たのだと思います。
「死罪に決まった者のように、最後の出場者として引き出された」「愚かなもの」「弱い」「卑しめられている」「飢え、渇き、着る物がない」「ひどい扱い」「住むところがない」「労苦して自分の手で働いている」「ののしられては祝福し」「迫害されては耐え忍び」「中傷されては、優しいことばをかけている」「この世の屑」「あらゆるもののかす」である、と。そしてそのような見せ物となったのは、神さまご自身の御心であったと語りました。
負け惜しみや当てこすりではなく、喜びの中から生まれてきた新しい生き方がここにあります。私たちキリスト者はみなこのような新しい生き方に招かれています。もし私たちが愛に生きようとしてなお苦しみの中にあるとすれば、そこは最もイエスさまに近い場所です。
●祈り
私たち一人ひとりをこの上もなく尊い存在とし、愛し、御子イエス・キリストの命をも惜しまずに与えてくださった父なる神さま。にも関わらず自分を大きく見せようとしてしまいます。どうか自らの価値の土台があなたにあることを見失わないように守ってください。高慢に生きようとすることから解放してください。互いに主にある尊い存在であることを確かにし、あなたに喜ばれる道を歩ませてください。