詩篇35篇の詩人は身に覚えのないことで責め立てられています。詩人は、神さまがご覧になっていてくださることを確信しながらも、神さまがただ傍観しておられるだけのように感じています。神さまを遠くに感じています。
詩人は神さまに向かって必死に助けを求めます。そして、それと同時に、神さまの言葉を求めています。「私のたましいに言ってください。『わたしがあなたの救いだ』と」。
詩人は単なる問題の解決を求めたのではありませんでした。詩人が求めたのは、問題解決以上のことでした。それは神さまの言葉を聞くことです。詩人はともにいてくださる神さまとの交わりを求めたのです。
クリスチャンも様々な問題に直面します。神さまは私たちの願うとおりに問題を解決してくださるとは限りません。しかし、神さまは様々な問題を抱えて苦しむ私たちと、いつもともにいてくださいます。
苦しい状況の中で、詩人は神さまの言葉を聞くことができなくなっていたように思います。旧約の時代とは少し事情が異なるかも知れませんが、私たちも神さまを見失い、神さまの言葉を聞けなくなることがあります。しかし、神さまは、私たちを見ていてくださり、私たちに語りかけていてくださいます。「わたしはあなたの救いだ」と。
日々、新しく信仰をいただいて、神さまからの語りかけを聞かせていただきたいと思います。
地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神だ。ほかにはいない。(イザヤ書45篇22節)