説教音声・要旨 2025年5月4日(日)

主日礼拝説教:2025年5月4日(日)

聖書箇所:出エジプト記8章20~32節

説教題:わたしの民の贖い

暗唱聖句

わたしは、わたしの民をあなたの民と区別して、贖いをする。明日、このしるしが起こる。

出エジプト記8章23節

説教音声

説教要旨

区別して、贖いをする

 エジプトのファラオはイスラエルの民をなかなか解放しようとしません。そのファラオとエジプトの地に、十の災いが降りかかります。四番目はアブの災いです。

 エジプトの全土はアブの群れで満ちました。しかし、イスラエルの民が住むゴシェンという地だけは例外でした。神さまは、ゴシェンの地に住むイスラエルの民を区別して、アブの災いから守られたのです。神さまは、このことを「贖い」と表現しておられます。

 贖いとは、要するに救いのことです。「救い」という言葉が持つ様々な側面の一つを表現しています。基本的には「買い戻す」という意味の言葉です。代価を支払って買い戻すことです。

 イスラエルの民はエジプトの地でファラオの奴隷とされています。しかし、神さまがそのイスラエルの民を贖われる、それが出エジプトのみわざです。神さまは、ファラオに奪われているご自分の民を取り返されるのです。アブの災いにおけるイスラエルの贖いは、出エジプト全体のみわざを指し示し、出エジプトのみわざはイエスさまの十字架のみわざを指し示します。

 アブの災いにおける贖いでは、贖いの代価というものが示されていません。イスラエルの民をアブの災いから守るために支払われた代価は、はっきりしていません。しかし、イエスさまが成し遂げてくださった贖いを見ると、代価ははっきりしてきます。それはイエスさまご自身のいのちです。神さまは、私たち一人ひとりを取り返すために、かけがえのない御子イエス・キリストのいのちを、贖いの代価として支払ってくださったのです。

 神さまは、私たちの救い、私たちの贖いのために、イエスさまのいのちを代価としてくださいました。神さまは、私たちのことを、ご自分の御子イエスさまのいのちと等しい価値のあるものと見てくださったのです。御子イエスさまのいのちを犠牲にしてでも取り返したい、神さまは私たちのことをそれほどに価値のあるものと見てくださいました。

 私たちは、神さまに愛されて、神さまとともに生きるために、造られました。そんな私たちなのです。価値のない人は一人もいません。価値がないどころか、私たちは神さまに愛されて造られた者なのです。だからこそ、罪によって、ご自分から離れた私たち一人ひとりを取り戻すために、神さまはイエスさまを十字架にかけてくださったのです。私たち一人ひとりが、「わたしの民」とされる、それが神さまの願いです。そして、その神さまとともに生きることこそが、私たちの救いです。

荒野へ三日の道のりを行って

 エジプトの地がアブの群れで荒れ果てると、ファラオはイスラエルの民の礼拝を認めました。ただし、その礼拝には「この国の中で」という条件が付いていました。

 モーセはファラオの提案をきっぱりと拒みます。そして、自分たちがエジプトから出ていくことを宣言します。なぜなら、神さまがそう命じておられたからです。

 神さまがモーセに語っておられたのは、とにかくまずエジプトから脱出することでした。まずエジプトを出るのです。エジプトを出て、荒野へ三日の道のりを行ったところで、イスラエルの民は神さまに礼拝を献げるのです。その反対ではありませんでした。これは大切なことのように思います。

 礼拝とは神さまを神さまとしてほめたたえることです。天地を造られた神さまこそが自分の救い主であることを告白し、その神さまに救われた恵みを喜ぶ、それが礼拝です。それは罪人には絶対にできないことです。なぜなら、罪人は本質的に神さまのご支配を嫌うからです。神さまのご支配を嫌って、自分が自分の心の王座に居座る、それが聖書の語る罪なのです。そして、そのような罪の支配に捕らわれている限り、私たちは神さまを神さまとしてほめたたえることができないのです。イスラエルの民がエジプトでファラオの支配下に捕らわれていることは、まさにその罪の支配に捕らわれていることを示しています。だからこそ、神さまは、何よりもまず、イスラエルの民の解放をファラオに求められたのです。神さまを礼拝できるまことの自由は、エジプトを出たところにあるのです。

 主イエスさまは、私たちの代わりに、私たちの罪を背負って、私たちの罪の問題に最終的な決着をつけてくださいました。私たちは、主イエスさまによって、神さまを礼拝できるまことの自由へと招かれています。

祈り

 私たちを罪の支配から取り戻すために、かけがえのない御子イエスさまのいのちを贖いの代価として支払ってくださった神さまに感謝します。主の日の礼拝に集まる私たちが、一人ももれることなく、主イエスさまによって、罪の支配から解放されて、神さまを礼拝できるまことの自由を喜ぶ者とされますように。新しい一週間の歩みも祝福してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

2025.5.4 東近江キリスト福音教会「礼拝」説教レジュメ-01
2025.5.4 東近江キリスト福音教会「礼拝」説教レジュメ-02


投稿日

カテゴリー:

, ,