詩篇の祈りに導かれて(32)(週報2025年5月4日号)

 詩篇32編の冒頭部分は、パウロがローマ人への手紙の中で取り上げた言葉として知られています。パウロは詩篇32編の詩人をダビデとしています。

 ダビデはイスラエル王国の偉大な王です。サウル王から追われて、大変な苦労を味わう期間も長くありましたが、後にはイスラエルの王として誰からも認められる存在になりました。大きな権力と名誉、たくさんの富を手にしました。しかし、そのダビデが「幸いなことよ」と歌ったのは、神さまから赦されることでした。

 ダビデが神さまの赦しを何よりの幸いとしたのは、神さまを神さまとして恐れていたからです。神さまを愛して、神さまとの関係を最も大切に考えていたからです。

 ダビデはどこまでも罪人でした。しかし、罪を認めることができる、「その霊に欺きのない人」でした。そして、ダビデが神さまの御前で自分の罪をそのままに認めることができたのは、神さまの徹底的な恵みを知っていたからです。「主に信頼する者は/ 恵みがその人を囲んでいる」。神さまはご自分の豊かな恵みでダビデを囲んでいてくださったのです。

 主イエスさまを信じて神さまの民とされている私たちも、ダビデを囲んだ神さまの恵みに囲まれています。主イエスさまの十字架を見上げながら、神さまの恵みを喜びましょう。

ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。(へブル人への手紙4章16節)


投稿日

カテゴリー:

, ,