主日礼拝説教:2025年4月20日(日)
聖書箇所:ヨハネの福音書20章24~31節
説教題:信じる者になりなさい
暗唱聖句
それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
ヨハネの福音書20章27節
説教音声
説教要旨
平安があなたがたにあるように
よみがえられた日の夕方、イエスさまは弟子たちの真ん中に立って、ご自分の手と脇腹を示されました。弟子たちは死人の中からよみがえられたイエスさまとお出会いしたのです。しかし、「デドモと呼ばれるトマス」はその場にいませんでした。
「私たちは主を見た」と言う他の弟子たちに、トマスは「その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」と宣言します。十字架にかけられて死んだ人がよみがえるというのは、当時の人にとってもあり得ないことでした。イエスさまの復活は人間の理解や常識をはるかに超えた出来事だったのです。
さて、その一週間後、イエスさまは再び弟子たちの真ん中に立たれました。今度はトマスも一緒にいます。イエスさまはトマスも含めた弟子たちに「平安があなたがたにあるように」と語ってくださいました。
平安がないというのは苦しいものです。私たちには平安が必要です。だからこそ、平安を願います。しかし、切に願いながらも、自分の自由にならないのが、平安でもあるように思います。
鍵のかかった部屋の中に閉じこもる弟子たちに平安がなかったのは、イエスさまがおられなかったからです。自分たちが付き従ってきたイエスさま、そのイエスさまが十字架にかかって死んでしまわれた、イエスさまがおられなくて、弟子たちは平安を失っていたのです。しかし、そのイエスさまが自分たちの真ん中に立ってくださいました。
イエスさまは十字架にかかって死なれました。しかし、死んで終わりではありませんでした。よみがえられました。イエスさまは、私たちの人生における最大の問題、死の力に打ち勝たれたのです。そして、その復活のイエスさまがおられるところ、そこに平安があります。何の問題もないから、平安があるのではありません。死の力にも打ち勝たれたイエスさまが真ん中にいてくださる、そのイエスさまが愛していてくださる、だからこそ、平安があるのです。
よみがえって、弟子たちの真ん中に立たれたイエスさまは、私たちの真ん中にも立っていてくださいます。そして、平安を宣言していてくださいます。
わたしの手を見なさい、わたしの脇腹に入れなさい
イエスさまはトマスに言われました。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい」。トマスが「その手に釘の跡を見なければ」と言っていたその場に、イエスさまはおられたのではありません。しかし、イエスさまはそのトマスの言葉を明らかに知っておられたのです。単なる言葉の内容ではありません。イエスさまが知っておられたのは、言葉に込められたトマスの疑いであり、葛藤です。信じたい、けれども、信じられない、信じられない、けれども、信じたい、そんなトマスの葛藤を、イエスさまは知っておられたのです。そして、その上で、イエスさまは「信じる者になりなさい」と言われました。イエスさまは、不信仰で疑い深いトマスを退けるのではなくて、受け入れてくださったのです。そして、そんなイエスさまとの出会いが、トマスを信仰告白へと導いた、そのように思います。
トマスはイエスさまの復活を確信しました。イエスさまの手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れて、イエスさまの脇腹に手を入れたからではありません。納得のできる証拠をつかんだからではありません。トマスはイエスさまに知られていることを知りました。疑い深い自分を、不信仰な自分を、イエスさまは知っていてくださる、その上で、そのままに受け入れていてくださる、その恵みに、トマスは気づかされたのです。
イエスさまは「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言われました。信じても、信じなくても、どちらでも良いということではありません。イエスさまは信じることを誰よりも大切に考えておられたのです。イエスさまを信じる、そこにすべてがかかっていたからです。それは、私たちがイエスさまを信じていのちを得ることです。
イエスさまは私たちのことも知っていてくださいます。不安や悩み、心の奥底に閉じ込めている痛みや悲しみ、他人に言えないような秘密、イエスさまはすべてを知っていてくださいます。その上で、私たちを受け入れていてくださいます。そして、「信じる者になりなさい」と招いてくださいます。イエスさまは、私たちを愛していてくださり、私たちがいのちを得て生きることを願っていてくださるのです。
祈り
主イエスさまの復活の恵みを覚えて感謝します。主イエスさまから愛されて生きる恵みを覚えながら、信じて従う私たち一人ひとりであらせてください。新しい一週間の歩みを祝福してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

