- 主日礼拝説教:2025年4月13日(日)
- 聖書箇所:第一コリント3章10~17節
- 説教題:神の宮である私たち
●暗唱聖句
あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。
第一コリント3章16節
●説教音声
●説教要旨
◎人生は冒険の旅
イエスさまを信じたすべての人の人生には、その土台にイエスさまが据えられています。その上に建てる建物については、それぞれに任されています。
任されているといっても自由気ままに建てることはできません。イエスさまという土台を無視して、好き勝手に建てようとするならば、その建物は不安定なもの、耐久性に欠けたものとなってしまい、やがて壊れてしまうでしょう。イエスさまという土台をしっかりと把握し、それに見合う建物を建てなければなりません。
また建てる建物の素材も重要です。金や銀、宝石で家を作る人はいないと思いますが、見かけが美しくても、家としての機能があるかどうかは別のことである、ということかもしれません。その建物の真価は「かの日」に明らかになる、と聖書は語ります。人生を建てるのにどのような素材が良いか。それは「かの日」を想定していなければならないのです。かの日を考えに入れずに人生を送ろうとしても、しっかりとした人生を送ることが出来ません。かの日に耐えられるような人生を送りたいと思います。
ここで不思議なことが書かれています。
「だれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、その人自身は火の中をくぐるようにして助かります。」(15)
この人生は、確かに神さまにゆだねられていて、どのように歩むかによって結果は違ってくるのですが、しかしどんなにひどいことになっても「助かる」ということは変わることがないと聖書は語ります。
イエスさまを信じた者は、イエスさまといっしょに歩むようになりました。何があっても滅ぼされることのない大安心の中に置かれました。しかし同時にその人生は、自らの希望や個性によって自由に生きることのできる人生でもあります。そしてその生き方によって違いが生まれて来る人生でもあります。
どんな人生を建てるのか。その建て方によって人生の結果が変わってくるとなると、人生に向かうのに少し恐れを持ちます。しかしどんな人生を送っても滅ぼされることはない、というのですから、大胆に生きることが出来ます。人生は、天国への確かな約束をいただいている冒険の旅のようなものです。失敗するかもしれません。かの日に耐えられないような建物しか建てられないかもしれない。しかしどうであろうとも救いは確かである。だから安心して自分を生きることが出来る。それがキリスト者の人生です。
◎あなたも私も大切に
イエスさまを信じた者は「神の宮」となりました。パウロはそのことを忘れてしまったのか、と問いかけています。コリントの教会にはさまざまな問題ありました。自分たちが神の宮であることを忘れてしまったことにその原因があるのではないか、と問いかけているのです。
宮とは神殿のことです。神さまを礼拝する場所です。神殿は都エルサレムにありました。神さまを礼拝しようとするとエルサレムの神殿に行かなければなりませんでした。神さまの御霊はエルサレムの神殿のみおられたと考えられていたからです。しかしイエスさまを信じた者は、神の神殿です。神さまの御霊が住んでいてくださっているお互いである、私たちのうちには神さまがおられるのだ、と聖書は語ります。
それはイエスさまを信じたお互いは、とても大切な存在である、ということを語っていると思います。自分の中に神さまが住んでいて下さる。共に生きる兄弟姉妹の中にも神さまが住んでいてくださる。たとい意見の違いがあっても、そこに神さまが住んでいてくださるのです。お互いに大切に生きる道がそこに開かれます。
神殿は、また神さまにお出会いするところです。喜びの出来事を感謝するために神さまにお出会いし、悲しみの出来事を打ち明け慰めや励ましをいただくところです。その神さまが自らの内にいてくださる、ということは、誰よりも喜びを共にしてくださるお方が私の内に共におられるということであり、悲しみや苦しみを誰よりも深く知ってくださるお方がまた共にいてくださるということです。
喜びや悲しみを共有してくれる誰かをいただいていることは幸いです。しかしそれが人間である限り限界があります。限界があるお互いであることを見失ってしまうならば、期待に答えられたならば人間を神のようにしてしまいます。逆に答えられなかったならば、共に生きるお互いを否定してしまうことになるでしょう。いくら土台にイエスさまがおられるとしても、結局藁や木で人生を建てようとすることなのではないか。
「もし、だれかが神の宮を壊すなら、神がその人を滅ぼされます。神の宮は聖なるものだからです」(17)。
厳しい言葉が語られていますが、それほどまでに、神さまは一人ひとりを大切に考えていてくださるのだと思います。
お互いが神の宮である。そのことを見失わないでさえいるならば、互いを生かすことが出来ます。すでにしっかりとした土台を据えていただいたのです。土台に見合った建物、そして私にしか建てることのできない建物を建てたいと思います。どんなことがあってももう滅びることはないのですから、安心して私にしか生きることのできない冒険の旅を続けていきたいと思います。
●祈り
様々な人生があり、様々な歩みがあります。しかし主にある者の生涯は、決して滅ぼされることがない、その人にしか生きることのできなかった人生です。あなたはそのように一人ひとりを導いてくださいました。かの日。やがての日。私たちは、あなたの前に立ちます。よくやった忠実なしもべよ、との御声を聞かせて頂きます。自らの内にあなたがおられることを見失うことなく、また共に生きるお互いの中にあなたが生きていてくださることを見失うことがないように守ってください。そうしてあなたに喜ばれる生涯を歩ませてください。

