詩篇25編には「道」という言葉が何度も出てきます。
世の中にはたくさんの道があります。それは人生という道においても同じです。私たちの人生にはたくさんの道があるのです。そして、たくさんの道があるからこそ、私たちはよく道に迷ってしまいます。詩篇25編の詩人も道に迷っているようです。
詩人は「若いころの罪や背き」を自覚しています。神さまに対する罪であり背きです。詩人は、神さまに導かれる道ではなく、自分の道を進んだのです。自分の道を進んだ罪の結果として、神さまを見失い、道に迷っているのです。
詩人は罪を犯しました。神さまから離れて道に迷っています。しかし、詩人が信頼して待ち望む神さまは、そんな罪人に道を教えてくださる方です。
神さまが道を教えてくださるのは、「正しい者に」ではありません。「罪人に」です。罪人こそ、道を知る必要があるからです。罪人は道を教えていただかなければならないのです。そして、神さまはその罪人に道を教えてくださいます。神さまは罪人を愛していてくださるのです。
私たちも神さまから離れて道に迷います。信仰者も同じです。しかし、そんな罪人の私たちに、神さまは道を教えてくださいます。どんなに道に迷っても、どれだけ道を間違えても大丈夫です。神さまが道を教えてくださいます。そして、その道に歩ませてくださいます。
人の子は失われた者を捜して救うために来たのです。(ルカの福音書19章10節)