主日礼拝説教:2025年3月9日(日)
聖書箇所:第一コリント2章10~16節
説教題:キリストの心をもっている
●暗唱聖句
私たちはキリストの心を持っています。
第一コリント2章16節
●説教音声
●説教要旨
◎御霊(聖霊)によって啓示する神
「それ」(10)、すなわち福音を、神さまは私たちに「啓示」してくださいました。啓示とは、人間の力によっては知りうることの出来ないものを、知らせてくださった、ということです。神さまが私たちを愛していてくださる、ということを、神さまご自身が知らせてくださったのです。私たちに知らせたい、私たちが知らないままでいてほしくない、と神さまは願われたのです。
神さまはそれほどまでに私たちに関心をお持ちです。救われないで滅んでしまうことを、誰よりも悲しんでおられます。ひとりでも福音を知ってほしいと今日も熱い思いを全世界に向けておられます。
神さまは福音を人間に知らせるにあたり「御霊によって」知らせる、という方法をおとりになりました。御霊とは、三位一体の神のおひとりである聖霊さまのことです。御霊はすべてのことを、神の深みさえも探究されるお方です。人間のことは、人間の内にある霊のほかに知るものがないのと同じように、神さまのことは、神の霊である御霊のほかにはだれも知りません。
どんなに勉学を深めても、経験を積んでも、神さまの福音を知ることはできません。ただ神さまの霊、御霊によらなければ知ることはできないのです。
◎神を知ることは、神の愛を知ること
誰かを知るといった場合、その人の体重や身長、あるいは水分が60%、たんぱく質が16%、脂質は15%と理解しても、その人を知ったことにはならないでしょう。神さまを知るといった場合でも、神さまのサイズや様子を知っても、神さまがどのようなお方であるのかを知らなければ知ったことになりません。
聖書の神さまはどういうお方であるのか。神さまを知るということは、神さまが私たちに恵みとして与えてくださったものを知るのです。神さまが恵みとして与えてくださったものとは「十字架の福音」です。神さまは奇跡を行うお方である、祈れば聞いてくださるお方である、天と地を造られたお方である。いずれも大切な真理です。しかしそれらを知ったとしても、もし十字架の福音、すなわち神さまがどんなに私たちを愛しておられるのかを知らないならば、何も知らないに等しいことです。
どうすれば、十字架の福音、神さまが恵み深いお方であるのかを知ることができるのか。
◎神の御霊に属することを受け入れない生まれながらの人間
生まれながらの人間は神さまの御霊に属することを受け入れられないのです。なぜ受け入れられないのか。あまりにも神々しいものだから受け入れられないのか。そうではありません。御霊の属すること、すなわち十字架の福音は、人間にとって「愚かなこと」にしか見えないので、理解することができないのです。
十字架は、人間はすべて罪びとである、と私たちに語りかけます。十字架は、人間には自らを救う力がないと語ります。自分こそ賢い、自分こそ優れているとの自尊心、プライドをもっている者には、受け入れがたいものです。受け入れるためには、神さまの御霊に服従して、謙遜にせられなければなりません。自分のプライドにしがみついていてはいつまでたっても受け入れられないのです。
しかしひとたびキリストの十字架を受け入れたならば、もはや誰によってもさばかれることはないのです。唯一さばくことのできるお方である神さまご自身が、「わたしもあなたを罪に定めない」(ヨハネ8・11)と語っていてくださるのですから、もはやさばくものは存在しません。だれからもさばかれない、ということは、自分自身さえももはや私をさばかないのです。私たちはキリストの心を頂いたのですから。
自分の誇りにしがみついていると、それを守るために戦々兢々とした毎日を送ることになりますが、神さまの前にへりくだり、幼な子のようになって、胸を打ちたたきつつ「こんな罪びとの私を憐れんでください」(ルカ18・13)と祈るならば、罪の縄目から解放され、全き平安の中に生きる者としていただきます。
◎霊の人はキリストの心をもっている
「私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神からの霊を受けました」(12)、「私たちはキリストの心を持っています」(16)。イエスさまを信じた人は、みな聖霊を受けています。そしてキリストの心を持っています。
こうして礼拝を献げている、聖書を読んでいる、祈っている。そこにすでに御霊が働いておられるのです。キリストの心をいただいたので、そのような信仰の歩みが実現しています。これは、人間の力によるものではありません。まさに神さまご自身のお働きのなかに、今すでに生かされているのです。
ですから私たちは、人間の知恵によって教えられたことばではなく「御霊に教えられたことば」を用います。「御霊のことば」によって、御霊のことを説明します。御霊のことばとは、小難しい神学用語のことではありません。また異言のような特別なことばのことでもありません。ある先生は「むなしい飾りではなく、むしろ調和と単純をあらわすかたちによって規定されたことばである」と語りました。信仰による謙遜と確信に満ちたことばとも説明されます。優しい愛に満ちたことばといってもよいかもしれません。
互いの間に優劣をつけて自分のほうが優れていると主張する中で交わりが壊れかけていたコリントの教会に必要なのは、互いに同じ御霊を受け、キリストの心をいただいた兄弟姉妹なのだ、という優しい愛に満ちたことばだったのだと思います。
●祈り
キリストの心を与えてくださいました。まことにもったいないことです。あなたがそうまでして私たちを救いたいと願ってくださったその心を見失うことがないように守ってください。御霊のことば、謙遜と愛に満ちた優しいことばを語らせてください。