主日礼拝説教:2025年3月2日(日)
聖書箇所:出エジプト記5章1~9節
説教題:礼拝のために
暗唱聖句
私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。
ローマ人への手紙8章37節
説教音声
説教要旨
わたしのために
モーセはアロンとともにファラオのところに行って神さまの言葉を伝えました。「イスラエルの神、主はこう仰せられます。『わたしの民を去らせ、荒野でわたしのために祭りを行えるようにせよ』」。モーセとアロンがファラオに求めたのは、イスラエルの民が「祭り」を行うことでした。「祭り」とは礼拝のことです。イスラエルの民が神さまを礼拝する、そこに出エジプトの目的があったのです。救いとは私たちが神さまを礼拝する者に変えられることです。
モーセとアロンがファラオに伝えた言葉の中で、神さまは「わたしのために礼拝を行えるようにせよ」と言っておられます。「わたしのために」です。イスラエルの民の祭り、礼拝は、神さまのためのものでした。
礼拝は神さまのためのものです。私たちのためのものではありません。私たちが満足すること、私たちの良い気持ちになること、そのようなことのために礼拝はあるのではありません。
礼拝の中心におられるのは神さまです。礼拝の目的は神さまがほめたたえられることです。神さまが神さまとされることです。そして、神さまが神さまとされるところで、私たちもまた、本来のあり方を回復していくことになります。神さまに造られた神さまの子どもであることを覚えて、神さまとの交わりの中で、神さまの愛に満たされて生きる、その本来のあり方が、神さまが中心となる礼拝を通して回復されていくのです。そして、その神さまとの相応しい関係が回復するところで、私たちも喜びで満たされるのです。
礼拝の目的は私たちが満足することではありません。神さまをほめたたえることです。そして、神さまをほめたたえるところにおいてこそ、私たちはまことの喜びに満たされます。それは、どのような問題の中にあっても、決して消えることのない喜びです。
なぜ、あなたは
イスラエルの民をエジプトから出て行かせてほしい、モーセとアロンがファラオに願い出た結果、事態は悪化しました。それまでも厳しい労働に苦しんでいたイスラエルの民は、より厳しい労働を課せられたのでした。救いどころか、事態はどんどん悪い方へ向かっていくのです。モーセとアロンはイスラエルの民から恨まれるようなことになってしまいました。
モーセとアロンが神さまの言葉をファラオに伝えたのは、神さまの命令に従ってのことです。モーセは、自分なりの信念で、主の御名を掲げて、イスラエルの民の解放を訴えたのではありません。神さまの命令に従っただけです。神さまの命令に従ったことが、事態の悪化を招いたのです。「こんなはずではなかった」、そんなモーセの心の声が聞こえてくるようです。
神さまの言葉に従ったら、物事は上手くいく、反対に、神さまの言葉に従わなかったら、物事は上手くいかない、私たちはそのように考えるところがあると思います。さらには、何か悪いことが起こったら、物事が上手くいかなかったら、それは神さまの言葉に従えていないからだ、そのように考えてしまうかも知れません。
しかし、実際の信仰生活はそんなに単純なものではないように思います。私たちは、神さまを信じて礼拝に集っていても、様々な問題を抱えます。神さまの言葉を大切にしているはずなのに、物事は悪い方向へ進んでいく、そんなことを何度も経験します。それが信仰生活の現実です。しかし、そのようなところから、信仰生活は前進していきます。
モーセは神さまに対する疑問や不満をそのままぶつけました。かつてのように、ミディアンに逃げたのではありません。そうではなくて、神さまに訴えました。思っていることを、ありのままにぶつけました。モーセは神さまがともにいてくださることを知っていたのです。そして、神さまはモーセの言葉に答えてくださいました。それは確かな救いの約束でした。
私たちにはすべてが見えているのではありません。すべてが分かるのではありません。しかし、神さまはすべてを見通していてくださいます。すべてをご存知でいてくださいます。そして、その神さまが私たちを愛していてくださいます。いつもともにいて、導いていてくださいます。
何ものも、キリスト・イエスにある神さまの愛から、私たちを引き離すことはできません。私たちは、私たちを愛していてくださる主イエスさまによって、圧倒的な勝利者なのです。
どのような時にも、与えられた信仰を働かせて、神さまをほめたたえる私たちでありたいと思います。
祈り
様々な試練や誘惑が私たちを襲います。しかし、何ものも、キリスト・イエスにある神さまの愛から、私たちを引き離すものはありません。私たち愛していてくださる主イエスさまの確かな勝利に支えられていることを信じることができますように。いつも礼拝から新しい一週間をスタートする恵みに与らせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

