- 主日礼拝説教:2025年2月23日(日)
- 聖書箇所:第一コリント2章6~9節
- 説教題:隠されていた神の知恵
●暗唱聖句
神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
ローマ人への手紙8章28節
●説教音声
●説教要旨
◎人間の知恵ではなく神の知恵に生きる幸い
「すぐれたことばや知恵を用いて神の奥義を宣べ伝えることはしませんでした」(1節)、「私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした」(4節)、「それは、あなたがたの信仰が、人間の知恵によらず、神の力によるものとなるためだったのです」(5節)。
人間の知恵によらない。それは知恵を否定しているのではなく、本当の知恵、すなわち神さまの知恵によって生きるようにと聖書は私たちを招いているのだと思います。神さまの知恵によって生きるところに平安があり平和がある、幸いがある、と聖書は語ります。信仰に生きるとは、この神さまの知恵に生きることであり、神さまの知恵に生きることこそ信仰の成熟であり、信仰の完全に生きることなのです。
◎神の知恵とは
では神さまの知恵とはいったい何であるのか。
「キリストは、私たちにとって神からの知恵、すなわち、義と聖と贖いになられました」(1章30節)。
神さまの知恵とは、キリストご自身であり、十字架において現された贖いの御業、福音のことです。
○世界の始まる前から定められた神の知恵
「その知恵は、神が私たちの栄光のために、世界の始まる前から定めておられたものです。」(7節)
神さまは、御子イエス・キリストの十字架を、世界の創造の前から定めておられた、と聖書は語っています。神さまが世界を創造されたとき、その頂点のように人間を造られました。その時人間は「神のかたち」に似せて造られ、神さまははなはだよかったと言われました。しかし創世記3章で人間は自らに与えられた自由意志を乱用し、罪を犯しました。それ以降人間はみな罪に縛られて生きるようになりました。
そうであれば、人間に自由意志など与えなければよかった、自由意志を与えたならば人間が罪を犯すことになると想像しなかったのか、など疑問の出るところかもしれません。神さまは人間が罪を犯すことなど十分に予測しておられたのだと思います。にも関わらず人間を造ろう、自由意志を持った人間を造ろうと決意なさったときに、同時に、もし人間が罪を犯したならば自らがいのちをもって贖おうと決意なさったのだと思います。すでにその時に自らの十字架を定めておられたのです。私たちの存在のすべては、この神さまの決意であるキリストの十字架によって成り立っているのです。
○この世の支配者は神の知恵を知らない
「この知恵を、この世の支配者たちは、だれ一人知りませんでした。」(8節)
罪の奴隷から人間を解放する方法としては、十字架以外にも方法があったのかもしれません。しかし神さまは、自らが十字架にかかるという道をお選びになられました。それは、罪びとである人間には想像もできないことなのだと思います。罪びと、すなわち自分の手で世界を支配しよう、自らが神のようになろうと願う者にとっては、十字架は輝きではなく躓き(つまづき)です。罪びとにとっては、十字架は、世々のはじまる前から定められたものでもなく、イエスという人間の道半ばの失敗にしか見えないのです。しかし不思議にこの救いにあずかる者、すなわち、十字架の主こそ私のためであったと信じる者にとっては、十字架の主はまさに「栄光の主」なのです。
神の知恵、すなわちキリストの義、聖、贖いが、世界の始まる前から定められたものであること、そして十字架の主こそ、栄光の主であることを信じた者は、次のことを知っています。
「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」(ローマ人への手紙8章28節)
「すべてのこと」が「益となる」。救われた者はそれを知っています。神の知恵に生きる者の幸いな人生がここにあるのです。
●祈り
十字架の主にこそ神の栄光を見ることが出来るように。そうして生かされている中に起こりうるすべてのことが、益となることを信じて生きる者でありますように。

