主日礼拝説教:2025年2月16日(日)
聖書箇所:出エジプト記4章18~31節
説教題:わたしの子、わたしの長子
暗唱聖句
主はこう言われる。『イスラエルはわたしの子、わたしの長子である。
出エジプト記4章22節b
説教音声
説教要旨
わたしの子、わたしの長子
モーセはエジプトへ帰る決心をします。そして、妻と子どもたちを連れて出発するモーセの手には「神の杖」がありました。神さまが蛇に変える奇跡を行なわれた杖です。モーセはその「神の杖」によって、ファラオの前で神さまから授けられた奇跡を行わなければなりませんでした。実際に自分の杖が蛇に変わった奇跡を見たモーセにとって、「神の杖」は心強いものだったように思います。
しかし、神さまはモーセが行う奇跡を見るファラオの心を「頑なにするので、彼は民を去らせない」と言われました。ファラオは神さまの奇跡に圧倒されてイスラエルの民を解放するのではありません。反対に、頑なになるのです。そして、ファラオが頑なになってイスラエルの民を解放しないのは、神さまご自身のみわざなのです。
モーセは頑なになるファラオに神さまの言葉を告げなければなりませんでした。「イスラエルはわたしの子、わたしの長子である」。神さまはイスラエルの民を「わたしの子、わたしの長子」と呼ばれました。そして、彼らを解放しないなら、「あなたの子、あなたの長子を殺す」と、ファラオに宣言されました。
神さまは決してファラオの子どものいのちを軽んじられたのではありません。ここで見つめたいのは、救いの重さです。イスラエルの民の救いは、ファラオの長子のいのちを必要とするほどに重いものだったのです。そして、それほどに、神さまはイスラエルの民を大切にされたのです。「わたしの子どもを解放しないなら、あなたの子どもを殺す」という神さまの言葉は、ご自分の民に対する神さまの愛の宣言です。
イスラエルの民が救い出された出エジプトのみわざは、私たちの救いを指し示しています。神さまが「イスラエルはわたしの子、わたしの長子である」と言われたのは、現在の私たちに向けられた言葉でもあります。神さまは私たちのことも「わたしの子、わたしの長子」と呼んでいてくださいます。神さまは、私たちの救いのためなら、どんな犠牲をも惜しまれない方なのです。実際に、神さまは長子のいのちを犠牲にしてくださいました。かけがえのないご自分の御子イエス・キリストを十字架にかけられたのです。かけがえのないご自分の御子イエス・キリストを犠牲にするほどに、神さまは私たちを愛してくださっているのです。
かけがえのないご自分の御子イエス・キリストを十字架に架けられた神さまは、絶対に私たちを諦める方ではありません。私たちが誰から見捨てられても、神さまは私たちをお見捨てになりません。私たちを愛していてくださる神さまは、どんな時にも私たちとともにいてくださいます。
血の花婿
モーセがエジプトに向かう途中、思いもよらない出来事が起こりました。何と、神さまがモーセを殺そうとされたのです。そして、そこでモーセを救ったのが妻のツィポラでした。ツィポラは息子の性器の皮を切り取って、それをモーセの両足に貼り付けたのです。すると、神さまもモーセを解放してくださいました。ツィポラがしたことは「割礼」と説明されています。
「割礼」とはアブラハムとその子孫が神さまの民であることを示すしるしです。モーセは割礼を受けた子どもの血によって救われたのです。子どもの血、長子の血がモーセを救い出したのです。逆に言えば、長子の血がなければ、モーセもまた、死ななければならない罪人だったのです。
私たちもエジプトのファラオやモーセと同じ罪人です。神さまを神さまとしない、神さまとの関係を拒んで生きる罪人です。そして、その私たちが罪と死の中から救われるために、イエスさまが十字架の上で血潮を流してくださいました。イエスさまが血潮を流してくださるしか、私たちが救われる道はないのです。逆に言えば、イエスさまの血潮さえあれば、私たちは救われます。どんなに立派な働きをしているか、どんなに美しい心を持っているかではありません。イエスさまの血潮です。イエスさまが十字架にかかられたのは、「私」の罪が赦されるためだった、その恵みを信じて受け入れるところに、私たちの救いはあるのです。
私たちを愛していてくださる神さまは、いつも私たちの帰りを待っていてくださいます。「わたしの子、わたしの長子」と呼びかけながら、私たちを探していてくださいます。そして、主イエス・キリストによって、帰って来る道を開いていてくださいます。
祈り
かけがえのない御子イエス・キリストを犠牲にしてまで、私たちのことを「わたしの子、わたしの長子」と呼んでいてくださる恵みを覚えて感謝します。新しく始まる一週間も、イエスさまの十字架を見上げながら、あなたの子どもとして生きることができるように助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

