- 主日礼拝説教:2025年2月9日(日)
- 聖書箇所:第一コリント2章1~5節
- 説教題:神の力によって信じる
●暗唱聖句
それは、あなたがたの信仰が、人間の知恵によらず、神の力によるものとなるためだったのです。
第一コリント2章5節
●説教音声
●説教要旨
◎十字架のキリストを知る
コリント教会に手紙が書かれた目的は、教会の中に分裂があったからです。その分裂を乗り越え再び一つとなって宣教に前進するために、あるいは麗しい交わりの中に教会生活を送ることが出来るために、パウロは、自分たちがどのようにして救われたのか、信仰を持つに至ったのかを振り返ろうとします。いわば、原点に立ち帰ろう、と語ります。
コリントの教会はパウロの伝道によって生まれた教会です(使徒18章)。その時を振り返って「自分はイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していた」とパウロは語りました。信仰者の原点とは、十字架につけられたキリストです。
キリスト教信仰を持つ、ということは、イエス・キリストを信じる、ということです。イエス・キリストを信じる、ということは、イエス・キリストがどのようなお方であるのかを知るということが、まず必要であろうと思います。イエスさまはどのようなことをなさったのか。どのような教えを語られたのか。如何に愛深い歩みをされたのか。聖い歩みをされたのかを知る、ということも大切でしょう。
しかしパウロはここで、イエス・キリストを知る、ということに重ねて、「十字架につけられたキリストのほかには何も知るまい」と「決心していた」と語っています。イエス・キリストを知る、ということは、十字架につけられたキリストを知る、ということなのです。
もし聖書に記されたキリストのことばやその活動を知ったとしても、十字架につけられたキリストを知らないとすれば、それは何も知っていないことです。逆に、聖書の知識もなく、キリストがどのようなことを語り、活動されたのかを知らなくても、ただ十字架につけられたキリストを知る、ということが出来たならば、救いに与っているのです。
◎自らの罪を知り、神の愛を知る
では十字架につけられたキリストを知るとはいったいどういうことでしょう。それは、私の罪のために、神が私の身代わりになっていのちを捨てて下さったことを信じることです。何度も学んでいますが、それは私の罪が神のいのちによってしか贖われることのないほどに深いものであったことを告白することであり、同時に、ご自身のいのちを捨ててまで私を救いたいと願われた神の愛に出会うことです。十字架につけられたキリストを知るということは、私が救われなければならない者であることを告白し、唯一さばくことのできる神さまから赦されていることを受け入れることです。分裂の悲しみの中にあったコリントの教会に、この原点に返ろうと、呼びかけるのです。私たちはみな罪びとだったのではないか。その罪びとを神さまが赦してくださったのではないか。私たちは神さまに赦された罪びとの仲間ではないかと呼びかけるのです。
◎御霊と御力、神の愛は弱さを通して現れる
今一つ思い起こそうとしていることに、このような神さまの恵み、救いを宣べ伝えたパウロ自身は、「すぐれたことばや知恵」を用いなかった、「弱く、恐れおののいていた」と語っています。しかしそのようなパウロだからこそ、「御霊と御力」が現れたと振り返っています。パウロの説教は、「すぐれたことばや知恵」「説得力のある知恵のことば」によるものではなかった、だからこそ、そこに神の「御霊と御力」が豊かに現れ、コリントの人たちが信仰を持つに至った、そうしてコリントの教会が生まれた、福音が前進した、と語るのです。
御霊と御力というと、すぐれたことばや知恵、説得力のある知恵のことば、というほうがふさわしい感じがしますが、パウロはむしろその逆のような自らの姿を振り返っています。
十字架につけられたキリストが真実に宣べ伝えられるためには、すぐれたことばや知恵、説得力のある知恵のことばは、必要がないのです。あるいはそれらは邪魔になるだけなのだと思います。神さまの恵みが宣べ伝えられるためには、それを伝える器である人間は、弱くなければならないのです。すぐれたことばや知恵、説得力のある知恵のことばは、むしろ神さまの恵みを覆い隠してしまうのだと思います。
そうして生まれた信仰こそ、人間の知恵によらず、神の力による信仰であることが明らかにされるのだと思います。
私たちのいただいた信仰が、真実に神の力によるものであるならば、その信仰は揺るぐことがありません。そのために、すぐれたことばや知恵ではなく、ひたすら十字架につけられたキリスト以外を知るまいと私たちもあらたに決意したいと思います。
●祈り
私のために十字架にかかってくださった主イエス・キリストの愛と恵みを知る者とされたことを感謝します。ひたすら十字架の主だけを仰ぎ見ることができるように助けてください。

