説教音声・要旨 2025年1月19日(日)

主日礼拝説教:2025年1月19日(日)

聖書箇所:出エジプト記3章13~22節

説教題:わたしはある

暗唱聖句

神はモーセに仰せられた。「わたしは『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエルの子らに、こう言わなければならない。『わたしはある』という方が私をあなたがたのところに遣わされた、と。」

出エジプト記3章14節

説教音声

説教要旨

わたしは「わたしはある」という者である

 神さまは、エジプトで苦しむイスラエルの民を救い出すために、モーセを遣わそうとされています。そして、神さまは、「エジプトなんて、とんでもない」と思っているモーセに、「わたしが、あなたとともにいる」、「このわたしがあなたを遣わすのだ」と言って、説得を始められました。

 モーセは続けて抵抗します。エジプトに行ったところで、同胞たちから信用してもえないことが分かっているモーセは、神さまに名前を尋ねました。「その名は何か」。ヘブル語においては、普通に名前を尋ねる時の言い方ではありません。モーセは、ただ単に名前を尋ねているのではなくて、神さまがどんな方であるのかを知りたがっているのです。

 神さまは「わたしは『わたしはある』という者である」と答えられました。「わたしはある」というのはとても不思議な名前です。

 「わたしはある」と訳されているヘブル語は、12節でも使われています。「わたしが、あなたとともにいる」の「いる」です。「わたしはある」は「わたしはいる」とも訳すことができるのです。実際に聖書協会共同訳では「私はいる、という者である」と訳されています。そして、「わたしはいる」というのは、12節とのつながりで考えるならば、「わたしはあなたとともにいる」になります。神さまはモーセとイスラエルの民に対して「わたしはあなたとともにいるよ」と語りかけていてくださるのです。そして、それが「主」という名前の意味でもあると思います。

 神さまが神さまであるのは、私たちとともにいてくださるからです。願いをよく聞いてくださるからでもなく、問題を解決してくださるからでもありません。私たちとともにいてくださる、そこに神さまの本質があるのです。

 「父祖の神」とは言っても、モーセやイスラエルの民は神さまのことがよく分かっていませんでした。もちろん、彼らは、「父祖」が誰であるかを知っています。アブラハム、イサク、ヤコブを知っています。しかし、その父祖の神が自分たちの時代と場所においても同じように生きて働いていてくださることを知りませんでした。父祖の神はあくまでも父祖の神に過ぎなかったのです。

 神さまは、そんなモーセに「わたしはある」というご自分の名前を教えてくださいました。「わたしが、あなたとともにいる」と語りかけてくださいました。

 後に、救い主イエスさまがお生まれになった時、ヨセフはイエスさまが「インマヌエル」と呼ばれることを、御使いから教えられました。「インマヌエル」は「神が私たちとともにおられる」という意味の名前です。イエスさまこそが、モーセにご自分の名前を教えてくださった神さま、主なのです。主イエスさまは何よりも私たちとともにいてくださる神さまです。

乳と蜜の流れる地へ

 神さまはイスラエルの民を「乳と蜜の流れる地」に導こうとしておられました。神さまがアブラハムに与えると約束されていた地です。「乳と蜜の流れる」という表現には、それほどに豊かだという意味が込められています。神さまが約束された地は豊かなのです。

 豊かな地で生きることができるとすれば、それはとても幸いなことです。ただ、土地が豊かであれば、それに伴って暮らしが豊かになれば、必ず幸いであるとは言い切れないように思います。経済的な豊かさを手にしながらも、悩み苦しみことはいくらでもあるからです。後に、乳と蜜の流れる地に入ったイスラエルの民もそうでした。

 乳と蜜の流れる地とは、単純に土地の豊かさを示しているのではないのだと思います。神さまがともにいてくださるというところに、意味があるのです。何があるか、何を手に入れることができるかではありません。神さまがともにいてくださるからこそ、「乳と蜜の流れる地」は「乳と蜜の流れる地」としての意味があるのです。神さまがともにいてくださる、その神さまを神さまとして恐れる、神さまに人生をお委ねして生きる、そこが「乳と蜜の流れる地」です。神さまご自身が私たちの人生に潤いを与えてくださるからです。そして、その神さまに支えられて生きるところに、本当の豊かさはあるのです。

祈り

「わたしは『わたしはある』という者である」、「わたしは、あなたとともにいる」とモーセに語りかけてくださった神さまが、現在の私たちとも、ともにいてくださる恵みを覚えて感謝します。どんな時にも、どんなところでも、イエスさまを見つめながら、「あなたとともにいる」と語りかけていてくださる神さまの御声を聞くことができますように。そして、喜んでイエスさまにお仕えして生きる私たち一人ひとりとしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

2025.1.19 東近江キリスト福音教会「礼拝」説教レジュメ-01
2025.1.19 東近江キリスト福音教会「礼拝」説教レジュメ-02


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