詩篇の祈りに導かれて(17)(週報2025年1月19日号)

 詩篇17編の詩人は冒頭から必死に助けを求めています。しかし、最後の15節までくると、大きく雰囲気が異なります。詩人は満ち足りています。ずっと必死に助けを求めてきた詩人が、最後の最後で神さまの「御姿に満ち足りる」と確信しているのです。財産でも地位でもない、他人からの評価でもない、神さまご自身によって、詩人は満たされているのです。

 詩人の置かれている状況は何も変わっていません。変わったのは詩人の心の中であるように思います。それは祈りによる変化です。

 詩人の祈りは自分の正しさを繰り返して訴えることから始まりました。その詩人が途中からは神さまの恵みを求めています。「奇しい恵みをお示しください」。自分の正しさが神さまの助けを引き出すのではない、救いは神さまご自身の恵みによる、その恵みへと、詩人の目は導かれているのです。詩人は、神さまが、瞳のように自分を守ってくださり、御翼の陰にかくまってくださることを確信します。

 神さまは、たくさんのものを私たちに与えてくださっています。何よりも、ご自身を私たちに与えてくださいました。まことの神でありながら、まことの人となって、ご自身のいのちを私たちに与えてくださいました。まことの人となられたまことの神、主イエス・キリストによって、私たちは満たされるのです。

主イエス・キリストを着なさい。欲望を満たそうと、肉に心を用いてはいけません。(ローマ人への手紙13章14節)


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