説教音声・要旨 2025年1月5日(日)

主日礼拝説教:2025年1月5日(日)

聖書箇所:出エジプト記3章7~12節

説教題:神に仕えるために

暗唱聖句

神は仰せられた。「わたしが、あなたとともにいる。これが、あなたのためのしるしである。このわたしがあなたを遣わすのだ。あなたがこの民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で神に仕えなければならない。」

出エジプト記3章12節

説教音声

説教要旨

このわたしがあなたを遣わす

 燃える柴の茂みからモーセに呼びかけられた神さまは、イスラエルの民をエジプトから救い出すと宣言されました。それはモーセにとっても喜びの知らせだったはずです。しかし、モーセは手放しで喜ぶことができませんでした。なぜなら、ファラオの前に立って、イスラエルの民をエジプトから導き出す役割は、モーセに委ねられたからです。神さまはモーセをエジプトに遣わそうとしておられたのです。

 神さまから大役を与えられたモーセは、「私は、いったい何者なのでしょう」と答えました。自分は何者なのか、モーセが見ていたのは自分自身でした。モーセは、自分の知恵や力、失敗して挫折した自分の姿を見つめていました。そして、そんな自分自身を見つめながら、モーセはできないと訴えざるを得なかったのです。

 神さまはモーセに「わたしが、あなたとともにいる」、「このわたしがあなたを遣わす」と言われました。神さまはご自身をモーセに示されたのです。モーセが見つめなければならなかったのは、自分の何かではなくて、ともにおられる神さま、遣わされる神さまでした。

 モーセを選ばれた神さまは現在の私たちも選ばれています。私たちも遣わしておられます。私たちもまた、それぞれの使命の場に遣わされているのです。

 神さまから選ばれて遣わされる時、私たちもモーセと同じことを言いたくなります。「私は、いったい何者なのでしょう」。しかし、神さまはそんな私たちにも語りかけていてくださいます。「わたしが、あなたとともにいる」、「このわたしがあなたを遣わす」。私たちが見つめるのは、自分の何かではなくて、神さまご自身です。

この山で神に仕えなければならない

 神さまは最後に「あなたがこの民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で神に仕えなければならない」と言われました。モーセがイスラエルの民をエジプトから導き出す時、イスラエルの民は「神の山ホレブ」において神さまに仕えることになります。それは目的と言っても良いと思います。イスラエルの民が神さまに仕える、そのために、神さまはイスラエルの民をエジプトから導き出そうとしておられるのです。

 イスラエルの民はエジプトの地で自由を奪われていました。それは、ただ単に行動の自由が奪われていただけのことではありません。人権が奪われていたという表現でも、言い尽くせないことです。

 イスラエルの民が本当に奪われていたのは、神さまに仕える自由です。神さまに仕える自由を、イスラエルの民は奪われていたのです。それは、モーセの時代にエジプトの地で苦しめられているイスラエルの民だけのことではありません。罪の支配の下にあるすべての人に言えることです。神さまに仕えるところにこそ、まことの幸いがある、しかし、その神さまに仕える自由が奪われている、それが罪の下にあることです。さらには、神さまに仕える自由が奪われていることにすら気づけない、そこに罪の恐ろしさがあるのです。

 神さまに仕えるとは、神さまから愛されていることを覚えて、神さまに支えられながら、神さまをほめたたえて生きることです。それは強制されてのことではありません。私たちは、救い主イエスさまの十字架によって明らかにされた神さまの愛に触れて、自分の意志で神さまに仕えて生きるのです。そして、神さまに仕えて生きる歩みの中で、私たちはより自由な者とされていくのです。

 神さまは私たちを無条件に愛していてくださいます。失敗もする、間違いも犯す、何も誇るものがない、そんな私たちをそのままに受け入れていてくださいます。諦めることなく、私たちとともに歩んでくださいます。私たちは、その神さまの御前にある時に、安心することができ、自由でいることができます。神さまはどんな時にもそのままに受け入れていてくださる、その恵みの中で、私たちは、自分と他人を比較することから解放されて、優越感や劣等感から解放されて、自分自身や隣人と向き合うことができるのです。私たちは、神さまに仕えるところにおいてこそ、自分を縛りつけている、あらゆるものから自由になることができるのです。

 神さまはご自分から離れた私たち一人ひとりを招き続けていてくださいます。

祈り

 神さまに仕えて生きるところにこそ、まことの幸いがあります。私たちを取り戻すために、かけがえのない御子イエス・キリストを十字架につけるまでしてくださった神さまの愛を受け取り続けながら、新しい一年も、神さまに仕えて生きる私たち一人ひとりであらせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

2025.1.5 東近江キリスト福音教会「礼拝」説教レジュメ-01
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